パラレルワーク・ハーモニー

みなさんは、副業や兼業をしていますか?
政府は働き方改革の一環で、副業・兼業を推進していますね。

並行して複数の仕事・収入源をもつ働き方をパラレルワークといいますが
複数の仕事をするハーモニーについて考えてみます。

言葉や定義は様々ありますが、自分なりの解釈はこうです。

‣Rice-Work:ご飯を食べるため、生活費を稼ぐための仕事
‣Life-Work:仕事というより、もはや生き方
‣Like-Work:好きなことを仕事にする
‣Learningful-Work: 学びやスキルを得るための副業

Rice-Workで安定した収入を得ることで、
生活費を心配せずに、Life-WorkやLike-Workに熱中できます。
また、軌道に乗るまでの時期や経済危機に耐えうることが可能です。

Learningful-Workは、英単語ではなくネットで見つけた造語ですw
ある有名な経営者の方が、
「若い人は、単に収入を増やすために副業をするのではなく、
ぜひ、将来に活かせる学び・経験・スキルを得るための副業を!」
と仰っていました。

副業や起業をお考えの方は、どの仕事に何を求めるのか
仕事のハーモニーを考えてみるといいかもしれません。

SoiはもちろんLife-Workです♪
軌道に乗ったら、Like-Workにも挑戦してみたいです。

Cantare Kaoru

「ワーク・ライフ・ハーモニー」

働き方改革に欠かせないキーワード、
ワーク・ライフ・バランスの定義を聞かれたら、どう答えますか?

なんとなく、仕事の時間を減らして、家庭や趣味の時間をつくる
というようなイメージがありますが・・

自身にとってバランスの良い割合を自分で決めること
と、株式会社ワーク・ライフバランスの小室さんはいいます。

たとえば、育休明けの方が仕事に復帰するときに
・定時に退社し、子どもが寝た後に、家でまた仕事をする
・仕事と時間および給与を一時的に減らし、子どもの時間を確保する
のように、時間の割合(と給与)を自分で選択するのがポイントです。

 
アマゾンのCEOジェフ・ベゾス氏のアドバイスは、
ワーク・ライフ・バランスの誤解されがちな点を述べています。

仕事と私生活の間で「バランス」を取ろうとするのはやめるべきだと考えている。
バランスを取るということは、この2つが一方を追求すれば
他方を犠牲にせざるを得ないトレードオフの関係にあることを意味するからだ。

たしかに、バランスの語源は
ラテン語 bi (2つの) 、lanx (尺度の皿)から成り立ち、
合わせて「天秤の二つの皿の平衡状態」を表すので
確かに、こちらを立てればあちらが立たず、と思いがちです。

ベゾス氏の仕事と生活の調和を保つためのアプローチは、

ワーク・ライフ・ハーモニー……つまり仕事と人生の調和を図る
(中略)
仕事と私生活は天秤にかけるものと考えるよりも、
2つは互いに組み合わさっているものと見る方がより生産的だ

言葉は異なっても、仕事と生活の相乗効果・好循環を目指す
という本質は、両者とも同じです。

社員が仕事と生活で自分らしいハーモニーを奏でられる、
Soiはそんな会社にしたいと思います。

Cantare Kaoru

出典:Business Insider Japan
ワーク・ライフ・バランスは人間を消耗させる? ジェフ・ベゾス氏の驚くべきアドバイス

「アンサンブルの神髄はハーモニー」

『のだめカンタービレ』の好きなシーンのひとつがこちら
「袖口と……世界の調和のアンサンブル」です♪

マルレオケのコンマス シモンさん

アンサンブルの神髄はハーモニー
ようするに「調和」だ
この調和は古代ギリシャの時代「ハルモニー」と呼ばれ
キリスト教社会になった時
「神のつくりたもうた世界は
 素晴らしい調和によって創造されている」
(略)
音楽の本質は「調和」にあるのだ
それを表現するのが真の「音楽家」なんだ    

引用元『のだめカンタービレ』16巻

 

アンサンブル(ensemble)とは、フランス語で「一緒に」の意味で
音楽用語では、2人以上が同時に演奏することです。

オーケストラでは、バイオリンやトランペットなどの様々な楽器が
一緒に演奏し、ハーモニーを奏でます。

この社会もまた、多様な人々と組織がともに活動しています。
持続可能な社会を実現するためには、つまり「調和」を生み出すには
みんなで協力して取り組むことが大切です。

Soi=Social Integrationは
ビジネスにソーシャルを融合しようというコンセプト。

いうなれば、Soiは
ビジネスとソーシャルの「ハーモニー」を表現する音楽家なのです。

Cantare Kaoru

日本人と欧米人 捉え方の違い [SDGs・ダイバーシティ]

 素晴らしい文章と洞察力に触れた、と思った。

 イギリスの科学ジャーナリストのEd Yong (エド・ヨン)氏がThe Atlanticに寄稿した”How the Pandemic Defeated America“ (「パンデミックはいかにしてアメリカを打ち負かしたか」)を読んだ。 ちまたに溢れている新型コロナ関連の記事である。一般的には「世界で蔓延して1800万人以上が感染している新型コロナは…」とか、「私たちの日常生活をガラリと変えた今回の新型コロナウィルスは…」とかいう始まり方をするものだが、Ed Yong氏は科学者の目から見たまま、冒頭こう始める;「どうやったらそんなことができる? 塵(ちり)の数千倍も小さい超微粒子が、この惑星で最も力強い大国を屈服し、屈辱を与えるなんてことが…」。

 思わず興味をそそられた。Ed Yong氏の記述は大変な洞察に満ちており、非常に説得力のある根拠に基づいているので、お時間がある方、興味のある方はぜひお読み頂ければと思うが、私が記述と全く関係ないところで今回改めて感じたことがあった。それは新型コロナウィルスに対する英語の表現と、日本語での表現の違いである。今日は感じたままにそのことをお伝えしたい。

 殆ど論文に近い今回のEd Yong氏の記事では、新型コロナウィルスに関して使用されている英単語は、主に ”outbreak” と ”spillover” である。Outbreak は訳すれば「外に拡がる」であり、spillover は「溢れ出る」という意味である。すなわち、英語圏の考え方は、「ウィルスが中心地から外側へ拡がり、溢れ出ていく」という発想がベースとなっており、水面に葉が落ちて同心円に波紋が広がっていくようなイメージが浮かぶ。

 対して日本語では、ウィルスに「感染」するという表現が一般的であり、どこから来たのかはわからないが、ウィルスが自分の体に外側から入ってくる、という受け身の表現をとっている。「蔓延する」という表現も自分たちがいる空間上にその存在を確認する、という意味では受動的表現である。 要するに向いている矢印の向きが逆なのである。 反論として英語でも感染を表す単語に “infection” があるが、これは体内で「作用する」という意味合いの方が強い(語源も in+fect(to make))ので、日本語にある「感染する」という状態のみを表す受動的表現の意味合いとは少し毛色が違うと感じる。 


 あくまでも想像に過ぎないが、欧米人には、ウィルスなる悪いものが外側へ拡がっていく中であらゆる禍をもたらしていく、だからそれに立ち向かう、という発想がoutbreakや spilloverなどの表現を通して表されており、それは古来ギリシャ神話に登場するパンドラの箱を開けてしまったためにあらゆる悪がこの世に溢れ出た話や、悪に手を染めたものは容赦なく裁かれるという旧約聖書の父なる神のような発想に由来するために、トランプ大統領のように「誰がウィルスをまき散らしたのか?中国が陰謀で世界に拡げたのだ!」という考え方が生まれているように思われる。

 それに対し、日本人には森羅万象のあらゆる事象、震災や今回の新型コロナウィルスのようなものもありのまま内側に受入れ、最善を尽くすという考え、また母なる菩薩に慈悲を頂き恩恵を受けようとする発想が根底にあるのかもしれない。今年の2月にダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナの集団感染が報道された時に「いったい誰がウィルスを持ち込んだのか?処罰せよ!」という報道が果たしてあっただろうか?恐らく香港に停泊した時に乗客が持ち込んだのであろうが、日本での報道では、ウィルスの怖さと懸命に戦う医療現場の様子が大半で、乗客らが感染した原因を徹底調査したニュースを私は見たことがない。

 ダイバーシティ(多様化)という言葉が今のような意味合いで初めて使われだしたのは、アメリカで公民権法が制定され、黒人差別の撤廃運動が日の目を浴び始めた1960年代に遡る。それから半世紀がたち、日本でも未だ不十分ではあるが、ようやく女性の活躍や社会的弱者に対しても日常の生活に普通に見られる風潮になった。 本当の意味でのダイバーシティを語る知識も資格も私にはないが、自分と違う他者のことを理解し受入れるという意味では、日本人の受動的な考え方・気質こそ多様化していく社会を作り上げるのに必要なものではないだろうか。

パンチョス萩原

How the Pandemic Defeated America by Ed Yong https://www.theatlantic.com/magazine/archive/2020/09/coronavirus-american-failure/614191/

テスラに思う [ESG]

最近、高速道路でいかにも高級セダンを見かけることが多くなった。テスラである。幾分流線形を帯びたボディにT字型のロゴを入れたモデルSがとても静かに、そして優雅に私の車を追い越していく。それにしても1000万円以上もする車を持っている人たちって凄いなーと思う。

テスラが米カリフォルニア州で2003年に操業した時分には、現在のCEOイーロン・マスク氏は単なる投資家であったが、その5年後に最高経営責任者(CEO)に就任、高級セダン「モデルS」で当時先駆けであったEV市場を切り開いた。2017年には小型車「モデル3」で量販車市場にも参入しはじめ、2020年現在は、アメリカと中国に工場を保有し、EVの累計生産台数も100万台を突破したところである。売上高は約2兆6千億円で、トヨタ自動車の30兆円にはほど遠いが、いま、テスラに大きな変化が起きている。この一年で株価が6倍となり、今年7月1日には時価総額が約22兆2700億円に達し、トヨタ自動車を抜いて世界トップとなったのだ。 生産台数もようやく100万台になったばかり、なおかつ、経理をかじった人なら一度は目にするPBR(株価÷1株当たり純資産、または時価総額÷純資産)が約30倍と桁違いに高い数字であるにもかかわらず、一介の後手参入企業が一躍時価総額トップに躍り出たのか?という疑問が湧く。同様なことは過去1990年代後半にマイクロソフトの時価総額が純資産を大きく上回ったことがあったが、今まさにそれが起きた感じである。

個人的には3つの理由があると思う。

1つはテスラの自動運転において圧倒的なオートパイロットソフト「FSD」の存在であり、1秒間に144兆回もの演算能力を持つこの車載コンピュータは、2019年以降すべての車に標準搭載されている。 テスラは車を購入した後でも定期的なソフトの更新を行うことによって常に収入を得るビジネスモデルを構築している。 もう一つはかつてのビル・ゲイツ本人の持つ頭脳に対する無形固定資産的な価値が、現在のテスラCEOのイーロン・マスク氏にも当てはめられるために株価が押しあがっていることだ。市場はイーロン・マスク氏のカリスマ性にテスラの将来を期待しているところがあると思う。最後は電気自動車に特化し気候変動や省エネルギーに企業として取り組むテスラに対し、投資家たちがESG銘柄として積極的に投資をし続けていることだと思う。 時価総額を上げていると思われるこの3つの要素を見ていると、テスラは自動車メーカーというよりアマゾンやグーグル同様のIT企業のようにも見えてくる(少なくともカイゼンなどコストを徹底的に抑えて利益を確保する他の自動車メーカーと異なり、自動運転ソフトによる絶大な付加価値創出をビジネスモデルに取り入れた異色の自動車メーカーであることは事実であろうと思う)。

一方でテスラは2018年大きなガバナンス問題に直面したことがあった。 その年の8月にイーロン・マスク氏が「1株420ドルで株式の非公開化を検討している。資金も確保した」とツイッターに書き込んだために、株価が大きく動いたが、その後計画を撤回した。結果、米証券取引委員会(SEC)から訴追を受け、当時会長職であったイーロン・マスク氏は会長職を退かされ、罰金を支払うことで和解するはめに陥ったことを覚えていらっしゃる方々も多いと思う。その後テスラはガバナンス機能を充実させた。現在の投資家たちは、イーロン・マスク氏の功績と、自動運転機能を搭載する電気自動車の量産の成功を、より環境に優しく(Environment)、運転者に優しく(Social)、経営陣のガバナンス(Governance)もしっかりとしていることを高く評価し、テスラへの投資をおこなっているのであろう。 

テスラは独自のショールームも一切持たず店舗はほとんどがショッピングセンターの中にあり、TVやネットの広告も流さない。 そういった取り組みもIT企業や家電メーカーに近い感じがする。 テスラを見ていると、これからの企業が社会に対し、何をしていけばよいのかを示唆しているようで新聞やネットで記事を見るのが今はとても楽しい。

パンチョス萩原

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