ISRのすすめ 【ESG】

   CSR(コーポレート・ソーシャル・レスポンシブリティ)という言葉は現在多くの方々に知られている。横文字なので海外から流入された「経営者における考え方」のような印象を受けるが、日本にもこうした考え方はずいぶん前からあった。 ネット上に公開されているニッセイ基礎研レポート2004年5月版の「日本の「企業の社会的責任」の系譜(その1)(社会研究部門 川村 雅彦氏による監修)」を拝読すると、日本では1956年の経済同友会決議「経営者の社会的責任の自覚と実践」がその基点となっているらしい。 

   この「企業の社会的責任」こそがCSRの概念である訳だが、実は具体的なCSRの定義はなく、企業が果たすべき様々な責任、例えば、法的な責任、経済的な責任、倫理的な責任、社会への貢献責任、環境への配慮責任などが包括的に含まれている。また、最近ではガバナンスの側面から企業倫理、法令遵守(コンプライアンス)、不正・腐敗防止、労働・雇用、人権、安全・衛生、消費者保護、社会貢献、調達基準、海外事業などの倫理面や社会面が強調されることも多い。 敢えてこれらの責任が叫ばれるということは、それだけ企業には不祥事や不正、環境破壊などが蔓延(はびこ)っていた事実の裏返しでもあるわけだ。

   一般的には、どのような企業であれ、本来まず一番に果たさなければならない責任は、1)会社を設立してくれた株主の期待を裏切らないこと(出資してくれた人に配当金を分配できるように会社が利益を出すこと)と、2)国を豊かにするために納税をすること、と言われる。 要するに「儲ける」ということが会社の使命であり、そのことが従業員や取引先、地域や国を豊かにするのであるから、この考え方に反対意見の人は少ない。 ここで書いているテーマは、あくまでも企業の「社会的責任」であり、CSRから一歩発展を遂げた、現在のESG(環境・社会・ガバナンス)にみられる企業経営の礎についてである。 今日はこの「社会的な責任」とは何かについて私なりに考えてみたい。

  前回までのコラムで日本人の気質のようなものについて書かせて頂いた。地理的にも歴史的にも諸外国からの介入が比較的少ない時代が長く続いたことにより、日本人は独自の文化を形成してきた。 日本は明治時代以降は西洋の文化と融合し、勤勉さも相まってGDP世界第3位の資本主義国家になった訳であるが、現代においてもこの国で暮らす国民たちは古来からの人との関わり方や生活における考え方はそう変わっていないように思える。 日本人の考え方の顕著なものの中には、「ひとさまに迷惑はかけない」というのがあり、人から受けた行為に対して決して恩を忘れず、生業(なりわい)も持って一生懸命働き、自らが属するコミュニティの中では問題を起こして他者に迷惑を起こさない、ということが言わば当たり前のDNAとなって次の世代へ継がれているかのようにも見える。なので、元来日本人にとっては、社会との共存や他者への尊敬、環境への配慮などは全く新しい考え方ではなく、ごく普通のことなのである。 令和の時代となって、昔に比べるとダイバーシティ(多様化)が進み、人々の価値観も一人一人が異なる中では、「社会的な責任」というフレーズでもそれぞれ違うイメージを持つ人々が多くいても全く不思議なことではない。 

   人々が社会をどのように定義づけるのかは問題ではないが、「社会が何を必要としているのか」には共通な認識がなければならないと思う。

   そもそもCSRのResponsibility(責任)という言葉の語源は、Response (応える)であり、さらに元のラテン語まで遡ると Re(返す) + spondere(約束する)となる。 したがい、「約束を持ってお返しする」という意味があり、 何に対してお返しするのかと言えば、それは「期待」に他ならない。

   それでは、社会が待ち望む期待は一体何なのか? ニーズは何か? それを前提としてアクションをとることで初めて「社会的活動をしている会社」と呼ばれるわけであるからこの問いはとても重要である。 家族からの期待でも、友人からの期待でも、相手が何を望んているのかをきちんと理解しなければ何の約束も応答もできていないことになるのと同様に、この社会が何を望んでいるのかを企業がしっかりと認識しない限り社会的責任は果たすことはできない。なので、まず社会に今何が起きているのか、社会に何が必要なのかを知ること、学ぶことから始めなければならない。 そしてこれはその社会に生きている私たち一人ひとりにとっても大切なことである。

   社会的責任を果たすのは何も大企業や専門家たちだけの専売特許ではなく、この社会を形成している一人ひとりがそれぞれに社会から期待されること、社会にとって必要なことに応えていくことができたら素晴らしいと思う。CSRではなく、ISR(Individual(個々の)Social Responsibility)である。このISRは多かれ少なかれ私たち一人ひとりが毎日できることだと信じているし、ESGやCSRを語る前にまず一個人のレベルで始めるべきだとも思う。

   先に述べた経済同友会決議「経営者の社会的責任の自覚と実践」は、その3年前の1953年に米国で出版されたボーウェンによる「ビジネスマンの社会的責任」がベースになっていると言われており、この時点ではビジネスマン一人ひとりの単位から社会的責任を果たしていこう、という考え方であったことがわかる。 

家族、友人、会社、地域、国のためにできること、一人一人がそれぞれできる範囲で実践していけたら本当に素晴らしい。

パンチョス萩原