暑さ寒さも彼岸まで 【SDGs 気候変動】

   今日9月22日は秋分の日だ。太陽が真東から上って真西に沈み、昼と夜の長さが同じになる。英語では「Autumnal Equinox Day 秋の昼夜平分時の日」と言う。

   秋分の日が国民の祝日となったのは1948年で、先祖を敬い、亡くなった人々をしのぶことを目的として制定された。この時期に多くの日本人はお彼岸(ひがん)でお墓参りにいく。今年はコロナ禍であるが、4連休ということもあり、GWやお盆に実家に帰ることが出来なかった人々の出が増えているとニュースで聞いた。

   「彼岸」とは仏教用語で、煩悩や悩みの海を渡って辿り着く悟りの世界(=極楽浄土)のことを指し、反対に私たちが住んでいる煩悩や迷いに満ちた世界を「此岸(しがん)」と呼ぶ。昼と夜の長さが同じになる秋分の日にはあの世の「彼岸」とこの世の「此岸」が通じやすくなると考えられ、先祖供養をするようになったらしいので、同じお墓参りをするお盆とは概念が違うらしい。

   「秋分」は日本の暦で一年間を24等分した二十四節気(にじゅうしせっき 四季をさらに6つずつに分けた季節の指標)のうち、9月23日頃から10月7日頃の時節にあたる。参考に二十四節気は以下の通りである。

春(2月4日頃~4月20日頃)

立春(りっしゅん)→雨水(うすい)→啓蟄(けいちつ)→春分(しゅんぶん)→清明(せいめい)→穀雨(こくう)

夏(5月5日頃~7月23日頃)

立夏(りっか)→小満(しょうまん)→芒種(ぼうしゅ)→夏至(げし)→小暑(しょうしょ)→大暑(たいしょ)

秋(8月24日頃~10月10日頃)

立秋(りっしゅう)→処暑(しょしょ)→白露(はくろ)→秋分(しゅうぶん)→寒露(かんろ)→霜降(そうこう)

冬(11月7日頃~1月21日頃)

立冬(りっとう)→小雪(しょうせつ)→大雪(たいせつ)→冬至(とうじ)→小寒(しょうかん)→大寒(だいかん)

   彼岸も含め、上記の二十四節気と同様に季節の移り変わりの目安となるものに雑節(ざっせつ)と呼ばれる暦日があり、五穀豊穣や邪気払い、先祖供養などの多くの行事が行われている。雑節には、社日、節分、彼岸、土用、八十八夜(立春から数えて88日目の種まきの目安)、入梅、半夏生(夏至の10日後)、二百十日(立春から数えて210日目、暴風雨があるとされる)、二百ニ十日(立春から数えて220日目)がある。(参照:国立国会図書館資料より)

   「暑さ寒さも彼岸まで」と言われるが、今年の夏は記録的な猛暑であった。8月17日にはこれまでニュースにもならなかった静岡県浜松市で史上初めて国内最高気温と並ぶ41.1度を記録した。40度以上という異常な気温は、浜松のほかにも静岡県天竜(40.9)、群馬県桐生(40.5)、群馬県伊勢崎(40.5)、新潟県三条(40.4)、埼玉県鳩山(40.2)、新潟県中条(40.0)で観測された(気象庁HP)。

   市街地では日中に温められたコンクリートやアスファルトが夜になっても温度がなかなか下がらない「ヒートアイランド現象」によって都市部では連日の熱帯夜となった。このヒートアイランド現象では地表と大気の間で強烈な上昇気流が生まれるために、都会の熱を巻き込んで内陸部に向かって熱風が吹き込むことになる。「広域ヒートアイランド」と呼ばれるこの現象によって、大都市近郊の地域全域より熱くなってしまうのである。

   よく「地球温暖化が近年の猛暑をもたらしている」との解説や報道がメディアや記事でもあるが、地球温暖化と猛暑と関係における科学的な検証は、昨年2019年気象研究所、東京大学大気海洋研究所、国立環境研究所、気象業務支援センターが共同で研究したデータが初めて示されたばかりである。一方、明治以降の毎年の温度推移統計の数字を見る限りではそうとも言い切れない側面もある。確かに温室効果ガスが増えることで生じる温暖化は緩やかに気候に影響しているようだ。今後も毎年熱い夏がくることになれば、「暑さ寒さも彼岸まで」とはいかなくなるかもしれない。

   SDGs13番目の目標である「気候変動に具体的な対策を」には、上述の地球温暖化防止対策だけでなく、気候変動に伴う自然災害対策や海温上昇によるサンマなどの漁獲量減少対策があるが、ターゲット13.3にあるように「気候変動の緩和、適応、影響軽減、および早期警告に関する教育、啓発、人的能力および制度機能を改善する」ことが大事で、私たちはまず気候が確実に変動している事実と影響について正しく理解することから始めることが重要だ。

   此岸に住んでいる私たちの世界における多くの課題がすべて解決されて彼岸(極楽浄土)のようになることは難しくても、彼岸中日(ちゅうにち)の今日、季節の節目(ふしめ)らしい秋らしさが例年訪れるような気候に戻るには何が必要なのかを考えたり、私たち一人ひとりに何ができるのか、ということに思いを馳せながら過ごすのも良いと思う。

 

パンチョス萩原(Soiコラムライター)