必要な分を必要なだけ 【SDGs 持続可能な生産消費形態】

   ご家庭の冷蔵庫を覗いて頂きたい。野菜、肉類、卵、牛乳、ビール、ねりわさび類、調味料類など、さまざまな食品が入っていると思うが、皆さんは、いつ頃どこでそれらを買われたのだろうか。 あるものは一週間に一度の定期的な買い物の時、またあるものは無くなった時に補充、傷みやすい生鮮食品は今週食べる分だけ昨日買ったか…そんな感じではないだろうか。入庫したタイミングはまちまちだが、これから食べる夕飯のために出庫して使う。極めて当たり前のことだが、「スーパーで調達」して「冷蔵庫に保管」し、「冷蔵庫から出して調理」をし、「食べる」―――買ってから消費するまで―――これら一連の流れを「サプライチェーン」と呼ぶ。何もこの言葉は会社の仕入~製造~倉庫入れ~出荷(販売)だけにとどまらない。サプライチェーンはご家庭でも毎日行なっているのだ。

   例えば、4人家族のとある家庭が、明日の晩御飯にチキンカレーを食べるとしよう。冷蔵庫は空っぽである。カレーに必要な材料(玉ねぎ、人参、じゃがいも)と鶏肉、カレールーを少なくとも明日の夜までに揃えなくてはならない。なので、今日のうちに近所のスーパーマーケットに買いにいくとする。スーパーには大概それらの野菜と鶏肉は売っている。だが、スーパーはこの4人家族が明日チキンカレーを食べる予定であることを知らないのだ。「おそらくカレーを食べる家庭もあるだろう」、と予測を立てて問屋や卸売業者に数日前から前日までに発注しておく。問屋や卸売業者はもちろんスーパーのお客さんがチキンカレーを明日食べることなど知らないが、「スーパーがそれらの予測を立てて発注してくるのだろう」、と予測を立てて生産者からある程度の量をかなり前もって買っておくのである。生産者はもちろん、いつ、どこで、誰がチキンカレーを食べるかなど知らないが、「問屋や卸売業者がスーパーからのどのくらいの注文が来るのかを予測して買いにくる」ということを計算に入れて、数カ月前から野菜や鶏肉の生産に着手しているのである。

   サプライチェーンでは、最終消費者の需要が起きるずっと前から、供給側が必要十分な体制を敷くことによって、最終消費者が欲しいタイミングでモノが届けられるのである。上記の例では、最終消費者の中に、まず「仕入~生産(調理)~出荷(配膳)~消費」という小規模のサプライチェーンがあり、スーパーの中にも、「問屋・卸売業者からの食材仕入れ~下処理~店の棚へ陳列~出荷(レジ)」のサプライチェーンがあり、問屋・卸売業者にも、「生産者からの仕入れ~倉庫保管~出荷」のサプライチェーンがある。生産者もしかりだ。このようにサプライチェーンどおしがそれこそ鎖のようにつながってモノと経済は回っている。

   ここで、4人家族が住む町の全住民1万人が同じくチキンカレーを食べるとする。当然スーパーのみならず近隣の八百屋や肉屋からも鶏肉、玉ねぎ、人参、じゃがいもは一斉に姿を消す。在庫がすっからかんになったスーパーや近隣の八百屋・肉屋は「明日もこぞって鶏肉や野菜を買いに来るかもしれない。もっと準備しておこう」とこれまでの2倍の量を仕入れる。問屋や卸売業者は「2倍も売れたから、今度から3倍の量を確保して将来に備えよう」となり、生産者は「ものすごい売れ行きだ。4倍育てておこう」となる。これが「ブル・ウィップ効果(牛追い鞭(むち)効果=Bull Whip Effect)」と呼ばれるものだ。牧場で使われる鞭のように手元をほんの少し動かすと、どんどん動きが大きく伝わり、最後には鞭の先端がものすごい振れになる、という現象が例えになっている。消費者のほんの少しの需要の変化が上流の生産者ではものすごい振れになる。

   新型コロナの感染者が日本で増え始めた今年の2月から、すべてのドラッグ・ストア、薬局、スーパー、コンビニなどから「マスク」が消えた。本来ならば、サプライチェーンは秩序に沿って一定の流れの中で安定しているが、当時連日のニュースで報道された「マスク不足」という言葉から、消費者、企業、病院などが先を争うように数週間から数か月分を買い求めようと店に殺到した結果、中間の流通分まで枯渇した。また時が悪く、主に中国からの輸入マスクに頼っていたため、中国からの供給がコロナでストップした。ここまでは、需要と供給のバランスで明らかに供給が不安定となったことによる品薄なのだが、2月12日に、菅義偉官房長官が会見で「来週以降、毎週1億枚以上、供給できる見通し」とコメントし、3月17日には「3月は月6億枚超が確保される」と言い、10日後の3月27日には、「4月の見通しは、さらに1億枚以上を上積みできるようになる」とコメントしたことによって、ドラッグ・ストア、薬局、スーパーが大量に発注し、上流の仲買業者がさらに膨大な量を輸入業者や国内のマスク製造メーカーに発注するブルウィップ効果が発生したため、嵐が過ぎ去った現在では大量のマスクが売れ残り、余った在庫はお店で山積みとなる結果となった。

   このブルウィップ効果という現象は、誰もがわかってはいるが、防ぐのが極めて困難なものである。少しでもこの現象を防止するために、需要がある分だけ生産や在庫を持つことを目指しトヨタが開発した「JIT(ジャスト・イン・タイム=かんばん方式)」や、グンゼも導入した、生産工程でボトルネックになるところを標準として、そこに合わせて生産・在庫管理を行う「(TOC=Theory of Constraint 制約理論)に基づくDBR(ドラム・バッファ・ロープ)方式」など、各会社のサプライチェーン部門では、いかにモノを作りすぎないか、在庫を抱えないか、という課題に対処すべく日夜奮闘しているのである。

   食品に関して言えば、「食べる分」の必要量に応じて「食材をつくる」という持続可能な生産消費形態を確保することが、SDGsの12番目の目標「つくる責任 つかう責任」の大きなテーマである。残念ながら、先進国においてTVやネットのメディアなどが大きく取り上げることで大きな食のブームが起き、該当する生鮮食品や農作物などでブルウィップ効果が起こり、需要が去った後には食品が大量に残ってしまう。世界では現在、食用として生産された農水産物のうち、3分の1ほどは消費されることなく廃棄されている(FAO=国際連合食糧農業機関データ)。目標中、12.3のターゲットには、「世界全体の一人当たりの食料の廃棄を半減させ、収穫後損失なでの生産・サプライチェーンにおける食品ロスを減少させる」とあり、いままさに一人ひとりが行動を起こさなればこの問題は解決しない現実がある。

   私も、冷蔵庫の中を今一度覗いてみて、中に入っているものがすべて無駄にならないように、今週の献立を練り直し、今週末のスーパーでの買い物は必要な分を必要なだけ買うことにしよう。

パンチョス萩原(Soiコラムライター)

「気長」のメカニズム 【SDGs 行動】

   なんとも気の長い話があるものだ。

   ドイツ中部、ハルバーシュタットのブキャルディ廃教会で、アメリカの前衛音楽家の故ジョン・ミルトン・ケージ・ジュニア氏(1912-1992)が作曲したオルガン作品「As Slow As Possible (題名:できるだけ遅く)」が演奏されている。この曲は2001年9月5日に演奏が始まったが、終わるのは2640年で、一曲演奏するのに実に639年かかる。2001年に演奏が開始されても曲の冒頭は長い休符のため、最初の和音が鳴ったのは18カ月後であった。その後2013年10月5日に一度和音が変わり、今回、先日9月5日に7年ぶりに多くのファンが見守る中、新しい和音に変わったのである。次に音が変わるのは2022年2月5日ということだ。

   ちなみに、ジョン・ケージ氏は、「4分33秒」という曲でクラッシック界ではかなり有名な作曲家だが、第一楽章から第三楽章で構成されたこの曲にしても、譜面はすべて休符(つまりオーケストラは何の音も出さない)なので、Youtube上の演奏の模様を視聴していると、バイオリニストが最初にオーケストラと音合わせでバイオリンを鳴らした後、指揮者がタクトを振り、曲が始まるのだが、オーケストラは一つの音も出さないでただじっとしているだけだ。観客は沈黙して無演奏のオーケストラをみつめ、やがて4分33秒で指揮者が曲をとじる動作を見せると、客席から大きな拍手が起こる、何とも奇妙だが印象深い作品であるので、一度聴かれてみてはいかがだろうか。

   いずれにしても、ジョン・ケージ氏の曲はどれをとっても、ユーモアがあり、素晴らしい作品として評価されているのだが、その背景には、どんなにじれったくても待ち続ける気の長いファンがいるのである。

   気の長い人たちに共通して言えるのは、「何かをじっと待てる大らかさ」を持っていることで、本当はとても忍耐力のいる作業だ。何故、人は「じっと待つ」ということができるか、という問いの答えを行動心理学的な根拠から探すとすれば、「待つことで、抱いていた欲求を満たせるため」であり、「欲求を満たしたいという意欲が強ければ、それが叶うように一生懸命行動する」のである。別の言い方をすれば、「待つ」という行為は、「忍耐力」をつけることよりも、「何としても目標を達成する意欲」を持つことの方が大切なのである。

   お昼時のテレビでとあるレストランの絶品ランチが紹介されれば、そんな美味しいランチが食べられるのなら1時間くらい並んでも全然平気、という人々が行列をつくる。忠犬ハチ公は主人の東京帝国大学教授であった上野英三郎が脳溢血で亡くなった後も10年間、ひたすら上野の帰りを渋谷駅で待っていた。プッチーニのオペラ「蝶々夫人」では、15歳でアメリカ海軍士官と結婚した日本人の芸者である蝶々が、アメリカに帰ってしまった夫を3年間、ひたすら海を眺めながら待ち続ける。二葉百合子の歌で戦争に出て行った息子の帰りをじっと待つ「岸壁の母」なども「待つ」という行為に決意が伝わってくる。特に、さだまさしの「舞姫」は、旅人に恋をした女性を歌った名曲であるが、2番の歌詞に、「待つ」という行為の本質がわかる一節がある;”余りにも長すぎる 時を待ち続けたが 何一つ彼女は 変わらずに過ごした ある人は未練と言い ある人は健気(けなげ)と言い いつかしら彼女は 一途(いちず)と呼ばれるようになる…”。

   まとめると、人は、獲得したい確かな目的があれば、いくらでも待つことができるのである。その意味で、気の長い人たちは、揺るがないビジョンを持っている人たちと言えなくもないだろう。「待つ」という英語の「Wait」の語源はフランス語の「Waitier 見張る、待ち伏せる」である。望んでいる欲求が満たされるまで状況をずっと観測し続けるイメージだ。喫茶店のウェイターも本来の仕事は、いつお客に呼ばれてもいいように万全を期して待ち構えている、というのが本分なのだろう。

   以前、「Delta8.7」のコラムの中でも登場させて頂いた住友化学は、SDGsの17目標において、私たち皆にとって大事なのは、「明日がどうなるのかもわからないのだから、未来はどうなるのか、と予測するのではなく、どのような未来にしたいのか、社会にしたいのか、を考えることだ」と言った(引用:2017年8月25日 SDGs Insightによる住友化学CSR推進部部長福田加奈子氏へのインタビュー記事)。「持続可能な社会が明日くるかどうか、いつくるのか」ではなく「明日をどんな日にしたいのか」という目標を立て、その実現のためにできることから行動し、信じて実現を待ち望む、ということが日々できたらどんなに素晴らしいことだろう。そして、これは私たちの日々の生活や職場でも同様に当てはまることである。

   冒頭のような、演奏に639年もかかる曲がある一方で、信じられないほど短い曲もある。イギリスのヘビーメタルバンドのナパーム・デスの曲「You suffer ユーサファー」は、なんと曲全体が1.316秒で、ギネスブックに「世界一短い曲」として認定されている。カラオケ店の曲目にも入っているので、歌いたくない時に「何か歌え」と強引に上司に頼まれた場合にはこの曲に限る。

パンチョス萩原(Soiコラムライター)

協働 【SDGs 産業技術】

   「ロボット」という言葉が最初に使われたのは、今から100年ほど前の1921年、旧チェコスロバキアの劇作家 カレル・チャペックの 「R.U.R.(Rossum’s Universal Robots=ロッサム万能ロボット会社)」 という戯曲の中である。ロボットとは、チェコ語で「強制労働(robota)」とスロバキア語の「労働者(robotníkロボトニーク)」という言葉からの造語だ。複雑で奥の深い、この戯曲のストーリーを簡単に書くならば、未来のとある孤島で、生理学者のロッサム氏がバイオテクノロジーを駆使して、偶然「生きた原形質」を人工的に作り出すことに成功したため,ロボット製造工場を建て、人の生活に役立つためのロボットを作るのだが、やがて人間たちは優秀なロボットにすべてを任せて自堕落的に何もしない毎日を過ごすようになる。それら人間たちに対して怒りを覚えたロボットたちが反乱を起こして1人を残して人類を滅亡させるが、最後は男女一組のロボットの間に愛が芽生え、彼らが新しい人類の「アダム」と「イヴ」となっていく…というような感じである。ここで登場するロボットは私たちがイメージする機械的なロボットとは違っていて、アンドロイドのようなロボットである。日本でこの戯曲が1923年に翻訳された時、このロボットに使われた言葉は「人造人間」であった。

   物語ではなく、実際の産業用ロボットのあけぼのは、1954年に米国の技術者であり起業家でもあったジョージ・デボル氏が教示再生型の 「Programmed Article Transfer」 についての特許出願が最初と言われている。その後、デボル氏のアイディアをもとに1961年米国の技術者エンゲルバーガーが数名と「ユニメート」と呼ばれる産業用ロボットの実用機第一号を作った。このユニメートは,ジョイスティックなどにより操作し、その動作を記憶させて、それを何度でも反復実行するという点で大きな反響を呼び、今でもエンゲルバーガーは「産業ロボットの父」と呼ばれている。その後,日米欧で盛んにロボットの研究が行われ、「ロボティクス」「ロボット工学」という工学分野が形成された。現在のロボット研究は,ロボットの動作研究から、ロボット言語、ロボットの知能化、VR(ヴァーチャルリアリティ)、その他様々な分野にまで広がり、ロボット自体も腕のような形のものから、より人間に近い手の形のものまで様々な形状を有するようになってきた。

   産業用ロボットは、高速で正確な反復作業、また人が作業するには危険な状況などでも生産性が一定のため、現在では多くの工場で当たり前のように導入されているが、今年に入り、新型コロナウイルス禍で工場での感染リスクが問題となってからは、生産ラインで作業者のすぐ傍(かたわ)らで作業できるロボット、いわゆる「協働ロボット」の需要が高まっているそうだ。従来の産業ロボットとの違いは、「協働ロボット」は動作速度が遅く、センサーで人を感知して止まる機能も備えており、あくまでも「人間をサポート」するロボットである。

   国内最大手の産業ロボットメーカーであるファナックによると、2021年中に本社工場(山梨県忍野村)の産業ロボット生産量を3倍に増産するという。また、三菱電機や芝浦機械も、食品工の包装済みの製品を箱詰めする作業向けや家電工場でのネジ止め作業用の産業ロボット市場に参入する。産業ロボット市場のニーズは生産性の向上であるが、今年に入り、「3密」を回避するため、日用品や食品など従来は手作業だった生産現場にも導入が広がりつつある。。調査会社マーケッツアンドマーケッツによると、世界市場は26年に20年比で8倍の8530億円に広がるとの見方もある(2020年9月6日 日本経済新聞)。

   協働ロボットのマーケットでは、現在、2005年にデンマークのオーデンセに設立されたベンチャー企業ユニバーサルロボット社が5割以上のシェアを占めている。世界最大のロボット市場である中国においても、今後、労働力不足を背景に需要が高まる見通しで開発競争が激化してくるであろう。

   SDGsの17目標中、9番目の「産業と技術革新の基盤をつくろう」という目標は、「強靭なインフラの整備」、「包摂的で持続可能な産業化の推進」、そして「技術革新の拡大を図る」ことを指している。産業用ロボット、AI技術、自動運転技術など多くの分野で日進月歩の中、特に日本では最近頻繁に発生する台風や歴史的な大雨などの自然災害もあり、万が一災害が起こっても復旧しやすい設備の研究や技術開発、実証実験が行われている。

   一方、開発途上国では生活に必要なライフラインのインフラも、産業化もまだまだ未整備となっている状態であり、先進国がサポートをして持続可能な産業になるように支援していく必要がある。先進国がさらに産業技術を発展させ、自国の生産性向上ばかりでなく、産業用ロボット技術をはじめ、ドローン技術、AI技術、自動運転制御技術などを使って開発途上国における砂漠での水源開発、地雷が埋まる地区での開拓、ジャングルでの電力・水道のパイプライン建設等を積極的に支援し、基礎インフラや産業を興すことを推し進めていければ、全世界で23億人にのぼる基本的な衛生施設を利用できていない人々や、安全な水を手に入れることができない8億人の人々の生活を大きく改善させることができる。そういう意味で、産業技術は先進国の経済発展や、人の作業を楽にしたり、人々がVRや音楽などの娯楽を楽しんだり、自動運転などの安全性を確保したり、というものを超えて、地球上に暮らすすべての人々の生活を良くしていくためにあるのだ。

   「人とロボット」の協働、「先進国と開発途上国」との協働―――今後、どちらもさらに発展していくことに期待したい。

 

参考文献・サイト

一般財団法人 日本玩具文化財団HP

岐阜大学 工学機械工学科知能機械コース 川﨑・毛利研究室HP

独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構 「NEDOロボット白書」

日本ロボット工業会HP

SDGs ジャーナルHP

 

 

パンチョス萩原 (Soiコラムライター)

ことぶく命 【SDGs 社会】

   昨日のコラムでは、破綻寸前の備中松山藩を大胆な財務改善と構造改革で救った山田方谷(ほうこく)について書かせて頂いたが、記事を書くためにほぼ一日かけて幕末から明治の開国時代の出来事や人物たちの関連する文献を読んだり、ネットでさまざまな記事を閲覧したりして過ごした。これまであまりに勉強不足だったことを痛感しつつも、150年以上前の激動の時代に思いを馳せることができた。

   しかし、正直に言えば、今回改めて深く印象に残ったことは、3時間近くかけて文献や動画などを閲覧し、かなり深いところまで情報を掘り下げた大老井伊直弼(なおすけ)の開国に至るまでの決意でも、安政の大獄でその彼に死罪にされた吉田松陰の思想でもなく、また攘夷を最後まで貫いた長州藩でもなかった。それら歴史的なイベントや活躍した人々以上に注目してしまったのは、江戸時代から明治時代にかけての日本の「総人口」と「平均寿命」である。

   「総人口」の方から書くと、江戸幕府が成立した1603年当時の日本の総人口は、1227万人、8代目徳川吉宗の享保の改革当時は3128万人、明治時代は3330万人と今よりずっと少なかった。総人口が1億人を突破したのは1967年(昭和42年)と意外と最近のことである。現在は2008年の1億2808万人をピークに減少しはじめている。徳川家康の頃には、日本は今の東京都民の人口ほどしか住んでおらず、260年経って2.7倍となり、その後の150年ほどで3.8倍ほどになった。ちなみに歴史を逆に遡ってみると、奈良時代~平安時代の総人口は451万~684万人、鎌倉時代の総人口は757万人、室町時代は818万人であったらしい。

   また、各時代における日本人の「平均寿命」の推移では、現代から時代を遡ると下記の通りだ。

令和元年   男性81歳、女性87歳

平成2年   男性76歳、女性82歳

昭和40年 男性67歳、女性72歳

昭和22年 男性50歳、女性53歳

明治・大正 44歳(男女区分なし)

江戸        32~44歳(記録があいまい)

安土桃山   30代

室町        15歳(人骨による分析)

平安        30歳(貴族のみ)

鎌倉        24歳

飛鳥・奈良 28~33歳(人骨による分析)

古墳・弥生 10~20代

縄文        15歳前後

   明治以前は、戸籍制度がなく人口調査ができていなかった時代もあり、かなりあいまいなところもあるが、平均寿命が50歳を超えたのは、終戦後の昭和22年(1947年)であることがわかる。「超高齢化社会」と言われるようになったのは、歴史から見ればつい最近のことなのだ。改めて、総人口の1億人以上の人々の平均寿命が男性で81歳、女性で87歳という今の世の中は本当に恵まれていると実感する。「人生50年」という言葉が現実的で、平均寿命がそれほど長くなかった時代の日本人にとって、長生きは本当にめでたいことだとして、中国から伝わった長寿祝いが文化に取り込まれたのは、奈良時代のことである。その頃は40歳をはじめに、10歳年を重ねるごとに祝っていたが、室町の頃から60歳から還暦(かんれき)などの長寿を祝う習わしが慣習化したと言われている。還暦をすぎると、66歳で緑寿(ろくじゅ)、70歳で古希(こき)、77歳で喜寿(きじゅ)、80歳で傘寿(さんじゅ)、81歳で半寿・盤寿(はんじゅ・ばんじゅ)、88歳で米寿(べいじゅ)、90歳で卒寿(そつじゅ)、95歳で珍寿(ちんじゅ)、99歳で白寿(はくじゅ)、100歳で百寿(ひゃくじゅ)、108歳で茶寿(ちゃじゅ) 、110歳で珍寿(ちんじゅ) 、111歳で皇寿(こうじゅ) 、119歳で頑寿(かんじゅ)、そして120歳で大還暦(だいかんれき)である。

   ちなみに、還暦の意味は、十干十二支(じっかんじゅうにし→乙未(きのとひつじ)や丙午(ひのえうま)」など )が60年で1巡して元の暦に還(か)えることから還暦と呼ばれている。また、長寿祝いで66歳、77歳、88歳、99歳などに祝うようになったのは、もともと長寿祝いは中国から伝わったのであるが、中国では昔から「ゾロ目」を不吉な数字と捉えており、ゾロ目の年には逆にお祝いをすることで厄払いをしよう、との考えがあるため、これらゾロ目の年に祝うようになったそうだ。ひな祭り(3月3日)や端午の節句(5月5日)、七夕(7月7日)もこの考えに基づいてお祝いされるようになったらしい。

   医療の進歩や生活水準の向上で日本の平均寿命はこの70年間でほぼ2倍となり、これからも平均寿命は延び続けることが予測されている。そんな日本も2017年には平均寿命世界一の座を香港に譲り渡しており、これからは先進国においてはさらに超高齢化社会に突入していくこととなるだろう。その一方で、世界平均寿命ランキングで依然として発展途上国における平均寿命は短く、140位以下はほぼアフリカの国々で、最低の187位である中央アフリカは平均寿命が52歳と短い。これでは還暦に手が届く人々がほとんどいない。

   貧困や衛生状態、治安など多くの要因を可能な限り解決しつつ、全世界の人々が長生きする時代が到来して、すべての国が平均寿命ランキングで同一1位となれば、どんなに良いことだろうか。

   人が生まれてから死ぬまでの長さを英語では「Lifespan (ライフスパン)」とそのものずばりで呼ぶが、それを「寿く命」と表す日本人の情緒は本当に素晴らしい。人が本当の意味で生を全うできる社会、一人ひとりが誰も取り残されない社会を築けていけたら、と心から思う。

 

出典・参考文献:

鬼頭宏 「人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)」、国土交通省ならびに衆議院 第三特別調査室 縄田康光氏の調査資料)

参考サイト

お誕生日新聞 https://shinbun20.com/

還暦祝いnavi  http://www.kanrekiiwai.com/

 

 

パンチョス萩原 (Soiコラムライター)

孤高のCFO 【ESG ガバナンス】

   会社経営では、最高経営責任者(CEO)がアクセルを踏み、最高財務責任者(CFO)がブレーキを踏む、と言われることがある。財務面を統括するCFOの言葉を理解し、信頼してCFOのアドバイスを実践できるCEOがいる会社は本当に強いと思う。私も以前、CFOとして一つの会社の財務をハンズオンで任された時期があったが、その時、夜も眠れないほど常に頭に浮かんだのは会社の財政面の悪化による資金繰りと、より利益を長期的に作り上げる組織体制の構築だった。CFOにとっての真骨頂とは何か、と問われれば、私はその時の経験から、確信を持って「財政安定化」と「ガバナンス」と言うだろう。

   そんな財政安定化とガバナンスを実践した、「江戸のCFO」がいる。山田方谷(ほうこく)だ。

   山田方谷は、1805年、幕末に備中松山藩(現在の岡山県高梁(たかはし)市)に農商の長男として生まれた。幼い頃から聡明で5歳の頃から幕府の官学である朱子学を学びはじめ、将来は学問で身を立てようと思っていた13歳の時に母親を、翌年に父親を相次いで失ったため、農業と油商で生計を立てる青年期を送った。しかし、藩から優秀さを認められていた方谷は、20歳の時に当時備中松前藩藩主の板倉勝職(かつつね)より奨学金を受け、藩校有終(ゆうしゅう)館で学ぶことを許された。そして24歳の時に武士の身分と有終館の会頭(学長に次ぐ職位)を与えられた。29歳の時に江戸へ遊学し、ここで陽明学と佐久間象山(後の儒学、洋学、兵学などに通じ幕末の志士たちに大きな影響を与えた人物。坂本龍馬や吉田松陰もその門下生)と出会う。江戸で視野を広げた方谷は2年半後に備前松山に戻り、再び藩校で教鞭を執るが、自宅でも「牛麓社(ぎゅうろくしゃ)」という私塾を開いて、武士以外の階級の人々にも学問を教えた。

   江戸遊学中に塾生たちから、各藩が財政難に苦しんでいる実態を聞いた方谷は、備中松山に戻ると、健全な財政を実現するための提言をまとめた「理財論」と藩政を担う武士たちが持つべき道徳と倫理を説いた「擬対策」を執筆した。

   「理財論」の中で、方谷は、まず財政再建に取り組むリーダーが持つべき心構えを説き、中国前漢の時代の儒者董仲舒(とうちゅうじょ)の「義を明らかにして利を計らず」という言葉を引用して、「財政が苦しい時は、目先のその場しのぎの利益を追うのではなく、風紀、綱紀、法令などを整え、長期的な視野を持ち、何が大切かを考えれば組織が正しい方向に向かい、おのずと利益が出るようになる」と教えた。今の時代で言えば、株が安い時に買収し、高くなったら売却することを繰り返し行なうファンド(投資会社)が、いわゆる「モノ言う株主」として、買収した会社に対して、短期的なスパンでの株価上昇となる政策として赤字ビジネス部門の廃止や組織の統廃合、利益重視の役員起用などをゴリ押しするが、たいがいの場合、社内の体制がついていけず、経営陣に不満を持つ社員も増え、会社全体のモチベーションの下がり、業績がさらに悪化してしまう。そうではなく、社内のガバナンスをまず立て直し、社員ひとりひとりが倫理的にどう行動するかを考えていけば、自然といい会社になって利益も出る、という感じがぴったりくる。また、「擬対策」の中では、方谷はさらに藩のガバナンスに言及し、藩が財政難に苦しんでいる原因が、役人らによる「賄賂」と「贅沢」にあるとし、自分の利益や短期的な利益を追求する諸悪の根源であるこれらの不徳をなくすための公明正大なる藩政刷新こそ、義を尊ぶ武士の本分であると教えている。

   「理財論」も「擬対策」も当時の為政者に向けた強烈なリーダーシップ論であり、財政改革と構造改革の本質をついている。方谷は大きな困難に直面しつつも、藩財政再建と構造改革のための政策を推し進めていった。簡単に功績をまとめてみたい。

  • キャッシュフローの改善

まずは大赤字の藩の財政立て直しをすることから方谷の改革は始まった。「加賀120万石(ごく)、薩摩73万石、仙台62万石…」など、江戸時代は大名の経済規模が米の収穫量(石高)で表わしていたが、この石高にはカラクリがあった。幕府が認めたオフィシャルな石高である表高(おもてだか)に対し、実際の石高を内高(うちだか)が存在し、各藩はこれら2つを使い分けていた。表高は幕府から当初認定された石高なので半永久的に変わることがないのだが、実際には毎年収穫量が変動するために、各藩は領民の税額を内高で算定していた。備中松山藩は表高は5万石であったが、内高は2万石にも満たなかったが、幕府から課される軍役や大名家としての格式という見栄をとるために敢えて5万石を名乗り続けた結果、方谷が藩主板倉勝静(かつきよ)から藩の元締役兼吟味役(財務責任者と執行役のようなもの)を拝命し任務についた時の藩が抱える借金は10万両(約300億円)あり、利子返済も困難なほどに財政は破綻寸前であった。方谷は債権者である大阪の商人のもとに自ら足を運び、藩財政が破綻寸前であることや、今後の財政改革の具体策を提示し、返済期限の50年延長と利子の免除を要請した。正直に実情を語り、頭を下げたことで大阪の商人たちから、これら50年の期限延長と利子の免除を取り付けた。この借金は、方谷が実施した種々の経済政策によるキャッシュフロー改善により、50年の期限を待たずに10年で完済された。

  • 財源確保のための産業振興策

方谷は、米生産に頼るのを止め、備中鍬(びっちゅうぐわ)・葉タバコ・茶・和紙・柚餅子(ゆべし)などの特産品の生産を奨励して専売制を導入し、商品をブランド化した。

  • 物流改革

無駄なコスト削減としては、大きな物流改革を行なった。当時は特産品を江戸に運ぶには、大阪の商人に委託して捌(さば)いてもらっていたが、大阪商人の中間マージンが大きく、利益が出ていなかった。方谷はこれらの商品を直接藩が購入した輸送船で江戸に届けることで中間マージンを大きく削減することで高い利益の確保に成功した。

  • 貨幣改革

当時、財政難のために乱発されていた兌換(だかん)紙幣の藩札が甚大なインフレを起こしており(逆に言えば、あまりに刷りすぎて藩札の価値が全くなくなってしまった)、方谷は藩札を額面通りの金額で通常の貨幣と交換し、回収した膨大な古い藩札を民衆の面前で焼き払った。そして財政状況に応じ、新たな藩札を発行することとし、藩札の貨幣価値と民衆からの信用回復を図った。

  • ガバナンス

方谷は、質素倹約策として、衣服は絹ではなく綿を着ること、足袋は9月から4月でそれ以外は裸足、男女とも髪結いは自分ですること、期間限定で藩士の給与を一割カットすること、役人対する接待や贈答を禁じること、奉行や代官に届いた物品などの贈答品は、入札を実施して希望者が買い取ること、役人が村を巡回する時には一滴の酒も振舞ってはならないこと、などの内部統制を藩と民衆の間で徹底した。

   

   当然なことながら方谷は、既得権を持ち、改革で自らの利益が目減りしてしまう藩士や民衆からの大きなバッシングにあう。しかしながら、そんなの中にあっても改革をすることができたのは、彼の上司である藩主板倉勝静からの絶大な信頼と計らいがあった。勝静は、藩すべての財務責任者ガバナンス責任者とが方谷であることを明言し、その一切の権限を与え、「方谷のことばは勝静のことばだ。彼に従え」とすべての部下たちに伝えつつ、自らも方谷の提言どおりに粗末な綿の着物に着替えて質素な生活を送った。

   方谷はCFOとして財政安定化として「理財論」、ガバナンスとして「擬対策」を通じて組織の改革を行なった孤高の人であり、勝静はそのCFOのいう言葉を傾聴することができた素晴らしいCEOであった。

 

 

参考文献:「江戸のCFO 大矢野栄次 日本実業出版社」

参考サイト: Guidoor Media 小さな藩の偉大な聖人~山田方谷

 

 

パンチョス萩原 (Soi コラムライター)

減り続けるサンマ 【SDGs 海の資源】

  今から2カ月前の7月15日、北海道釧路市で行なわれた今年初のサンマの競(せ)りで、過去最高となる1キロ4万円という競り値がついた。競り落としたのは地元の鮮魚店だが、早速店頭に並べたサンマ一匹の値段が税込みで6,458円、という報道に驚かれた方も多かったと思う。もしもコンビニのバイトで6時間一所懸命に働いた報酬がサンマ一匹だったら気が滅入るどころの話ではない。

   先週8月24日に道東・厚岸(あっけし)港で行なわれた水揚げでも、港に戻ったサンマ棒受網漁業4隻から降ろされた発泡箱は200箱余りで、1トンにも満たなかった(日刊水産経済新聞8月25日)。ここ数年サンマの漁獲量が激減し、2008年に34万3225トンもあった水揚げは、昨年2019年には4万517トンと過去最低を記録した(全国さんま棒受網漁業協同組合)。これから本格的なサンマ漁シーズンとなるが、今年も不漁が危惧されている。

   サンマが不漁な原因はいろいろあるそうだ。水産庁やNHK解説委員室、国立研究開発法人の水産研究・教育機構などのHPでさまざまな分析が解説されていたが、まとめると、まずは自然環境の変化でサンマの資源量自体が減っていること、日本近海の海水温度上昇やサンマと同じ餌を食べるマイワシが日本近海で増えているためにサンマが餌が食べられずに回遊ルートが変わったことなどが主な理由であった。一方、日本のメディアや週刊誌では、違う視点で、日本の「沿岸」にサンマが来る前に中国や台湾の漁船が「公海」で先に大量に乱獲していることが原因だ、というものもあるが、視聴者にはそちらの方が受けるのか、防衛問題や政治問題と絡めた特集番組まで登場している。

   ここで「沿岸」とか「公海」とはどんな定義だった?という疑問が湧いたので、改めて学び直してみる。

    海で使われる長さの単位は「海里(シーマイル、ノーティカルマイル)」である。メートルに直すと1852mであり、アメリカなどで使われているよく似た距離単位「マイル」の「約1609m」のような「約」はつかないで、ぴったり1852mである。南極・北極を通って地球をぐるりと一周する長さを360で割ったものが緯度1度、その1度をさらに60で割ったものが緯度1分であるが、この1分の長さが1海里で1852mなのだ。船はこの1海里を1時間で進む船の速さを1「ノット」としている。なので1ノットは時速1.852km/hだ(国土交通省 海難審判所HP)。

   さて、この「海里」という単位を用いて、国連海洋法条約にて各国がどのように海の利用について権利を主張できるかについて定められたのだが、日本でもその条約に従い1977年に「領海法(領海及び接続水域に関する法律)」が制定され、海の水域についての定義がなされた。

   第一に「内海・領海」という海域があり、これは日本の国土が海に接する沿岸を基線として港湾内や河川など内側部分を「内海」、外の海側へ12海里の線までの海域を「領海」という。「領海」はメートル換算するとおよそ22kmくらいなので東京駅から東に西船橋、北に浦和、西に川崎くらいのイメージだ。この海域では、日本国の主権ができるために他国の船は安全に通ることは認められるが勝手なことはできない。

   次に「接続水域」があって、これは沿岸からその外側24海里の線までの水域だ。先ほどの「領海」の12海里プラス12海里なので、距離は約44kmだ。東京駅から八王子もしくは上尾、戸塚などまでフルマラソンで走っていくくらいの距離感である。この海域でもし他国の船が密輸入や密入国等を企てたり、伝染病などが発生した場合には、日本は領海法違反や主権の主張により処罰や防止対策を行うことが認められている。

   続いて「排他的経済水域(または英語でEEZ)」」があり、これは沿岸から200海里(約370km)の線までの海域及びその海底下(大陸棚)まで含まれる海域だ。よくニュースで、“日本最南端の東京・沖ノ鳥島沖の「排他的経済水域(EEZ)」で、中国の海洋調査船が航行しているのを海上保安庁の巡視船が確認…”みたいな報道があるが、天然資源探査や開発行為や人工島の設置、海洋保護や保全などの管轄権がある海域なので、勝手に他国船は上述のような行為は許されていない。

   最後に「公海」は沿岸から200海里以上離れた、「どの国の所有でも管轄下でもない海域」のことで、どの国の船も自由に航行できるし、自由に漁を行なうことも、公海の下に広がる海底(深海底)での探索も可能だ。万が一、国際間で海に関する紛争が起き、外交の事務級レベルでの交渉が難航した場合は、国際海洋法裁判所で争われる。

(参照:外務省および海上保安庁HP)

   以上のような海域上の決まりがあるため、もしも他国の船がサンマを日本の主権と管轄権がある「領海」「接続水域」「排他的経済水域(EEZ)」で捕っていたら日本の法律で罰することはできるが、日本の海域内に回遊する手前の「公海」でたくさん捕られても日本にはどうしようもできないのである。

   春には鰆(さわら)、夏には初鰹や鱧(はも)、秋には秋刀魚、冬には金目鯛や河豚(ふぐ)など、日本人は豊かな水産資源を与えられ、伝統的な和食文化を育みそれらを食してきた。「和食」は2013年12月、アジアとヨーロッパにまたがるコーカサス山脈とカスピ海に囲まれたアゼルバイジャンの首都バクーで開かれたユネスコの会議で、多様で新鮮な食材と素材を活かした調理技術、一汁三菜を基本とする理想的な栄養バランス、器などによる自然の美しさや季節の移ろいの表現、正月などの日本伝統文化との密接な関わりなどが評価されてユネスコ無形文化遺産に登録された。

   今後、さらに日本近海の海水温上昇が続いたり、魚資源が枯渇してしまったら、もう伝統的な和食文化が後世に伝えられなくなるかもしれない。SDGsの目標14「海の豊かさを守ろう」は、何も魚という資源を保護することに留まらない。気象変動、人々の平和的な海の利用、そして魚を食べる食文化のありかたなど、多くのアクションを伴う大切な行動だ。

   私たちの「海の豊かさを守ろう」という思いと行動は、サンマの漁獲量のように年々減り続けてはならない。

パンチョス萩原 (Soiコラムライター)

太陽と月の呼応 【SDGs 省エネルギー推進と環境保護】

   以前、三重県津市に単身赴任していた時分に、しばしば伊勢神宮までドライブをした。行き交う人々で賑わう「おかげ横丁」で観光客よろしく赤福を食べてから、すべての電柱が地中に埋まり、まるで江戸の町並みのような「おはらい町通り」の石畳を抜けて鳥居前に出ると、五十鈴川に架かる宇治橋を渡る。その後砂利道をじゃっじゃ音を立てながら内宮まで歩くコースだ。

   古(いにしへ)の人たちには、太陽の神様である天照大御神(あまてらすおおみかみ)が鎮座する場所である西の伊勢神宮(三重県)と、夜の神様である月読命(つきのみこと)が鎮座する東の出羽三山(山形県)を、お伊勢参りを陽、出羽三山参りを陰、すなわち太陽と月を呼応させていた。江戸時代には「西の伊勢参り、東の奥参り」という言葉を用いて「一生に一度は行ってみたい場所」として庶民たちの夢となった。特に出羽三山は、現世を表す「羽黒山(はぐろさん)」、「前世を表す月山(がっさん)」、「来世を表す湯殿山(ゆどのさん)」のことであり、この3つの山を巡礼すると、前世→現世→来世を巡ったこととなり、生きながらにして生まれ変わることができると信じられている場所だ。今でも山伏もしくは修験道(しゅげんどう)たちが、冬は雪深い山へ籠もって厳しい修行を行なっており、日本古来の山岳信仰が根付いている霊場である。

   ところが、この出羽三山が今大きく揺れている。この夏に大型風力発電の計画があることが明らかになったからだ。

   ゼネコン準大手の前田建設工業(東京都)が羽黒山など2カ所に最大180メートルの風車を40基設置、総発電出力は最大12万8000キロワットの規模で風力発電機の建設を計画しており、8月には「計画段階環境配慮書」を公表し、風力発電事業が周辺の自然や生活に及ぼす影響を調べるための環境影響評価(環境アセスメント)手続きの段階に入った。

   これには山形県の吉村美栄子知事をはじめ、鶴岡市の皆川治市長および同市羽黒町手向地区の住民らが猛反発、8月31日に記者会見を開き、「開山から1400年つないできた祈りの聖地である出羽三山の歴史と自然、景観を分断するものだ」と計画の中止と撤回を求め、署名活動を始めている(日本経済新聞2020年9月1日)。日本遺産にもなった出羽三山に風力発電が40基も聳(そび)え立つことになれば、日本の精神文化が残る聖地、ひいてはコロナ以前は多くの外国からの観光客も注目する神聖なる景観はめちゃくちゃだ。

   一方、実際には、庄内地域の農地や沿岸部にはすでに風力発電が稼働しており、住人らにとっては風車はなじみの風景となっている。また、出羽三山の計画を作成した前田建設工業は全国16カ所で風力発電を手掛けており、今回の計画についても、同社の広報部は「山形県の適地調査報告書などを参考にした」と発言している。実は意外にも、再生可能エネルギーを促進する山形県は、2012年に公表した報告書に、「重要な信仰地で景観に注意」といった留意事項を書いて、羽黒山周辺を適地の一つとしてあげていたのである。これに対し、県側は「機械的に適地としたもので、ここがいいと保証したものではない」(県エネルギー政策推進課)として現在では全面的に反対しているが、経済を取るか、景観をとるか、のたたかいは今始まったばかりだ。万が一、2024年7月から建設工事に着手し、2027年から営業運転が開始されれば間違いなく出羽三山の景観は全く変わってしまうことになる。

   世界に目を向けてみると、原子力発電所や風力発電所が世界遺産のすぐそばに建設される計画で裁判になったケースはかなりあるようだ。フランスとの国境に接する牧草地と森林のモザイク景観が美しいドイツ南西部シュヴァルツヴァルト(黒い森)は、その鬱蒼とした常緑樹林の森や美しい村で知られ、グリム童話のゆかりの地でも有名だが、この山岳地帯に近年風力発電用の風車があちらこちらに立つようになり、今まさに激しい景観論議がおこっている。「気候変動防止のためのグローバルな環境問題解決」と「ローカルな美しい景観の保護」という難しい問題に直面している。フランスでも2013年に世界遺産のモン・サン・ミッシェルの南に風力発電所を建設する裁判が争われた。一旦2011年に地元当局が建設の許可を出したことに対し、自然環境保護団体や修道院の所有者らが訴訟を起こしていたもので、この裁判では原告側の主張が認められて風力発電所の建築には至らなかった(出典:日本エネルギー経済研究所 2013年11月資料)。

   環境省は平成16年に「国立・国定公園内における風力発電施設設置のあり方に関する基本的考え方(概要案)に対する意見募集」というアンケートを募り(総回答数168通)、その結果をHP上で報告している。当時「国立・国定公園であろうとも風力発電所などが設置できるような規制緩和を望む」という意見が全体の64%に上っていた。(環境省HP https://www.env.go.jp/info/iken/result/h160204a.pdf

   時としてSDGsの課題解決は、2つのゴールが今回の事例のようにトレードオフのジレンマに陥ることもある。省エネルギーの推進は地球温暖化対策でも本当に必要な対策だが、人の心の風景ともいうべき景観を台無しにすることは人を不幸にしてしまう。どちらか一つを選ぶという選択肢ではなく、相互が両立できるような解決を何とか見つけていくより他に道はない。伊勢神宮と出羽三山———太陽と月、陽と陰が見事に呼応しているように。

パンチョス萩原

繋げる側と繋がる側の責任 【SDGs 倫理】

   Facebook、Twitter、LINE、Instagram、Pinterest、YouTube、Linkedin、mixi、ニコニコ動画、WhatsApp、WeChat、カカオトーク、Snapchat、TikTok…。今やスマホを持っている人ならSNS(ソーシャルネットワークサービス)を利用していない人はほとんどいない。総務省の2016年の調査では、スマホを持っている10代、20代、30代の人々は、それぞれ81.4%、97.7%、92.1%の人々が何らかのSNSを利用している(総務省情報通信政策研究所「情報通信メディアの利用時間と情報行動に関する調査」より)。2020年のウィズコロナにおけるニューノーマルな生活では、さらにSNSを利用者は増えているであろう。

   インターネットを介して人間関係を構築するネットワーク媒体は、iPhoneが2008年の夏に発売される前はパソコンが主流であった。人々はブログや電子掲示板などに自分に意見や共有したい情報を書き込んでいた。SNSでは「情報の発信・共有」に加えて「拡散」といった機能が広く使われるようになった。また発信するメッセージも短文で、「~に行ってきました。」「~を食べました!」「~ってすごいなぁ」と報告や感想の内容が増えた。スマホの性能が向上するに伴い、日常的な写真や動画をアップして、人気が上がると「いいね!」の数が増え、ものすごい注目や支持を集める、いわば「バズる」状態になる。

   SNS関連でも徐々に「新しい日本語」が生まれており、私も「映(ば)える」くらいは知っているが、「リプ(リプライ:返信するの意)」、「フォロバ(フォローバック:フォローされたアカウントを逆にフォローするの意)」、「リムる(リムーブ:フォローしていたアカウントを解除するの意)」、「ふぁぼりつ(いいね!を押すことと、リツイートを同時に行なうこと)」、「FF外から失礼します(フォローでもフォロワーでもない立場で意見をいうこと」などは、聞いてもよく意味がわからない。また、ユーチューバー、インスタグラマー、インフルエンサーなどの新しい職業もSNSで生まれた。今やSNSは生活の一部となっている。

   使い方によっては、とても便利で有益なSNSであるが、対応を誤ると人生を狂わすほどのとんでもないことが起きることもある。ささいな一言をネット上につぶやいたことで攻撃的なネット利用者から誹謗中傷を浴びせられて、いわゆるネット炎上の状態になったり、一旦ターゲットにつるし上げられれば、寄ってたかって侮辱的なデマを流されたり、プライベートな生活がネット上にさらされたりする。2015年に実際にジャスティン・サッコさんに起きた、ネット上の行き過ぎた炎上は有名で、英米のジャーナリスト兼ドキュメンタリー映画作家のジョン・ロンソン氏が「ネット炎上が起きるとき (原題:When online shaming goes too far)」というテーマでTed Talk に登壇した時のスピーチを下記のリンクからぜひ一度聞いていただき、ネット炎上の恐ろしさを疑似体験して頂きたい。(https://www.ted.com/talks/jon_ronson_when_online_shaming_goes_too_far/transcript?language=ja#t-897636

   上記のような、非難すべきターゲットを炙(あぶ)り出して、過剰な個人情報の特定・暴露や、誹謗中傷を目的とした大量の書き込みなどの行為をする人々は、ネット人口の0.5%に過ぎないという研究結果が出ている(田中辰雄ほか ネット炎上の研究 勁草書房 2016)。しかしながら、SNSの匿名性による罪悪感の欠如によって、「ネットいじめ」や「オンラインハラスメント」などは後を絶たず、最悪の場合自殺者を生んでしまうなど深刻な社会問題となっていることは耳に新しいことではない。

   こうした悲劇をなくしていくためには、まずはSNS利用者が平和的にネット上でのルールを守り、本来秘密にすべき事項を含んでいないか、現実世界でも非難を浴びるような内容でないかなど、毎回立ち止まって考える慎重さが必要であり、それによって発信前に書き込む内容を十分注意しつつ、自由に言論を行なっていくことしかない。総務庁のHPでも情報発信にくれぐれも気を付けるよう警鐘が鳴らされている(「国民のための情報セキュリティサイト」 https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/security/enduser/attention/04.html

   SNSで怖いのはネット炎上だけではない。実際に私たちがSNSで発信した内容は、今やさまざまなものに利用されているのだ。

   まず第一に、企業の人事部門の採用担当は、面接に訪れる就活者がSNSでどのような発信や交友関係を持っているのかをチェックしているらしい。人事担当者は、会社の不利益となる人物は採用したくないので、履歴書やエントリーシートに合わせて、SNSの投稿内容を確認し、採用のミスマッチを防いでいるという。また、アメリカでは、入国者に対してSNSのアカウント情報提出を義務付けており、投稿内容から、国家の治安や安全に危険を与える人物か判断されているらしい(株式会社HRRTの関連記事より引用)。

   第二に、SNSを運営している会社が、利用者に無断で情報を収集し、履歴をすべてチェックしている。 米紙ウォールストリート・ジャーナル電子版は11日、中国系動画投稿アプリ「TikTok(ティックトック)」が、米グーグルの基本ソフト(OS)搭載のスマートフォンの識別番号を収集し、利用者の情報を追跡できるようにしていたと報じた(産経新聞 2020年8月12日)。 

   最後に、SNSに発信された情報をAIが分析し、本人の知能指数(IQ)や精神状態、生活習慣を見抜く実験が現実に総務省傘下の情報通信研究機構で行なわれており、無事に実験に成功し、米科学誌に論文を公表した(日本経済新聞 朝刊2020年8月30日)。例えばツイッターにつぶやいた内容から、発信者の「開放性」「誠実性」「外向性」「協調性」「神経症傾向」を分析するという。技術力を見せつけたい研究者らがSNSの解析を進めている。

   SNSはSDGsの課題である世界の貧困、ジェンダー不平等、気候変動、自然破壊などの現状や解決に向けた人々の取り組みなどを伝達する手段ではどんなメディアを叶わないほどの有益性を持つ。したがい、SNSユーザー側が平和的利用者として持つべき倫理観と、SNSを運営する側がプライバシー保護という観点からユーザーに対して持つ倫理観のなくしては、SNSが明日にも世界を滅ぼしかねないリスクを孕(はら)んでいることを忘れてはならない。

パンチョス萩原

偽物という名の本物 【SDGs 環境保護・健康】

   仏教では、性別を問わず、在家信者として守るべき基本的な五つの戒(シーラ)がある。その 第一の戒めに「不殺生戒(ふせっしょうかい)=生物の生命を絶つことを禁止」があり、この戒律によって、在家信徒は殺生をせず、動物性の食材、つまり肉や魚を口にしてはならないこととなっている。

   精進料理では、肉や魚の代わりに豆腐、こんにゃく、豆などを使って、肉や魚に似せた料理が振舞われる。例えば「がんもどき」は雁(がん)の肉に似せたもの、「羊羹(ようかん)」は、もともと羊のスープが冷えて煮凝りとなったものを想起させて小豆で作ったもの、昆布とつくね芋でアワビに似た「アワビもどき」や、赤こんにゃくをスライスした「マグロもどき」もある。精進料理ではないが、個人的にエリンギはバターで焼くとアワビのような感じになるので、アワビを食べた気分に浸れてお薦めだ。

   仏教徒のような戒律ではないにせよ、現代では食事の摂取カロリーやコレステロールを気にする健康志向な方々がベジタリアンになったり、宗教上・動物愛護などの思想上からヴィーガンなどの完全菜食主義者(肉・魚・卵・乳製品などの動物性食品の一切を食べない人々)も増えていると聞いた。また、ハンバーガーに入っているビーフパテ1枚の量を生産する際に発生するCO2は自動車が距離にして18Kmほど走った際に排出されるCO2と同量という研究もあって、より環境負荷の少ない農耕栽培で収穫された野菜を食べる人々や地球環境に配慮した商品や企業を支持する「エシカル消費者」たちも台頭してきた。さらには、肉は食べるが極力少なめにして野菜を多く食べるか、曜日によって肉を食べない日をつくる「フレキシタリアン」と呼ばれる人々もいる。

   しかし、中には本当は肉を食べたいが、健康や環境への配慮から食べるのを我慢する人たちもいて、そんな人々のために大豆を原料にあたかも本物の肉と同じ色・形・味付けの「大豆ミート」なる食品も出回っており、近年スーパーの陳列棚で見かける方々も多いと思う。これらは「植物肉」「代替肉」「人口肉」「疑似肉」などと呼ばれる食品である。ここでは「植物肉」という呼び名で統一する。

   この「植物肉」を食品化したり、ハンバーガーチェーンやレストランまでつくって客に販売していることで有名なのは、カリフォルニア州レッドウッドシティに本部を置くインポッシブル・フーズとその系列店のインポッシブル・バーガーだったり、ビヨンドミートのビヨンド・バーガーなどがある。ちなみにビヨンドバーガーは、見た目だけでなく味や風味も「本物の肉」に限りなく近いと市場から評価され、米国の大手スーパーで史上初めて生肉コーナーに陳列された「肉ではない商品」であり、またビヨンドミートも「植物肉」業界で初めてNASDAQに上場した会社である。

   そんな中、塩化ビニル樹脂や半導体シリコンの分野で世界シェア1位の信越化学工業が、大豆など植物由来のタンパク質で作る「植物肉」向け素材に参入したとの記事が8月31日の日本経済新聞に載っていた。信越化学工業が手掛けるのは「植物肉」に混ぜる接着剤で、パルプに含まれるセルロースを原料にして作るそうである。欧米の植物肉メーカーへの供給を増やし、新たな収益源に育てる戦略らしい。

   記事を読み進めると、世界の「植物肉」市場が2024年には、227億ドル(約2兆4000億円)と2019年に比べて約20%も増える見通しになることが書かれていた(調査会社ユーロモニターインターナショナルによる調査)。そのため、食品メーカー以外から「植物肉」市場への参入も相次いでいる。欧米では、素材メーカーの化学大手であるDSM(オランダ)は、塩分を抑えながら肉の風味や食感をつくり出す素材を供給し、米デュポンも2019年には中国メーカーと「植物肉」を共同開発している。日本では日本ハムやネスレ日本などの食品メーカーが相次いで「植物肉」に参入している中、信越化学工業の参入となった。今後も多くの業種から「植物肉」は熱い視線を浴びることが予想される。

   牛のげっぷなどから出るメタンガスは、CO2の25倍の温暖化効果があると言われているため、動物由来の肉の消費を抑え、代替の「植物肉」へ参入している企業は、環境などへの姿勢が考慮されてESG(環境・社会・統治)投資の視点からも評価されやすい。

   企業にとっても消費者にとっても、この「植物肉」は「単なる肉のフェイク」ではなく、社会的貢献、健康維持、環境保護など、SDGsが目指す行動に対して、多くの課題解決と利益をもたらす、「見せかけではない実質を伴った本物」なのである。

パンチョス萩原

小さな島々の大きな課題と、大国の小さな意識 【SDGs 人と国の不平等】

   SDGsの持続可能な17の開発目標とその169のターゲットをすべて読まれていらっしゃる方も多いだろう。私はSoiでコラムを毎日書かせて頂いている関係から、これでもよく目を通す方だと勝手に自負しているのだが、たった一箇所、10番目の目標「人と国の不平等をなくそう」の10.bに出てくる漢字がどうしても読めなかった。「小島嶼開発途上国」の「嶼」という漢字である。外務省のHPで調べてもフリガナがなく困った。MBAなどの論文で引用することはご法度だが、ウィキペディアはこんな時に大いに役に立つことが多い。今回もそうだ。

   小島嶼開発途上国は“しょうとうしょかいはつとじょうこく”と読む。嶼とは「小さな島」という意味らしい。小島嶼開発途上国(以後SIDS=Small Island Developing States)のメンバーシップに明確な定義は存在しないらしいが、現在、外務省のHPで国連事務局が公表しているSIDS加盟国リストとして公開されているのは次の38か国である:

アジアでは、シンガポール、バーレーン、東ティモール、モルディブ の4か国

オセアニアでは、キリバス、サモア、ソロモン諸島、ツバル、トンガ、ナウル、バヌアツ、パプアニューギニア、パラオ、フィジー、マーシャル諸島、ミクロネシア連邦 の12か国

西インド諸島では、アンティグア・バーブーダ、キューバ、グレナダ、ジャマイカ、セントクリストファー・ネイビス、セントビンセント、セントルシア、ドミニカ国、ドミニカ共和国、トリニダード・トバゴ、ハイチ、バハマ、バルバドス、ベリーズ の14か国

南アメリカでは、ガイアナ、スリナム の2か国

アフリカでは、カーボヴェルデ、ギニアビサウ、コモロ、サントメ・プリンシペ、セーシェル、モーリシャス の6か国

   上記38か国は、小さな島で国土が構成されている開発途上国である。正直に言って、シンガポールは日本からのODAはとっくに終了しているし近代国家として発展していることからこのリストにあるのはどうかと素直に思う。あと、西インド諸島、南アメリカ、アフリカのSIDSのほとんどの国名を私は知らなかったし、オセアニアの国々もあやしい。テレビニュースで以前、南太平洋の人口1万人の島国ツバルで海面上昇が原因で、国全体が水没の危機があることを伝えていたことでツバルの国名を知っていたくらいである。皆様はいくつご承知であっただろうか? ちなみにドミニカ国とドミニカ共和国はミス印字ではなく別々の国である。

   SIDSの問題は、地球温暖化による海面上昇が引き起こす国土消失の危機だけでなく、島国固有の問題(少人口,遠隔性,自然災害等)による脆弱性のために持続可能な開発が困難なことである。人口の約30%が海抜5メートル未満の地域に住み、時には島の規模を上回る暴風雨に見舞われ、気候変動は一部の国の存続までも脅かしている。また、これらSIDSの国々における主たる産業は、農業や漁業、観光業などに限られており、国際市場からも遠く離れているため、燃料、通信費、物流なども高い。都市部では人口が増加し、資源消費の拡大や衛生・健康状態の悪化をもたらしている。多くのSIDSは暴風雨や海面上昇の早期警報システムや、気候適応計画等の取組がすでに実施されてきており、再生可能エネルギーの利用も進みつつある。しかしながら、国際社会から地理的にも隔たっているために依然として新技術の導入が遅れている。(出典:国連環境計画(UNEP)、小島嶼開発途上国(SIDS)の持続可能な開発に向けた展望を示す「地球環境概況」(SIDS版))

   このUNEPの報告書「地球環境概況」では、「グリーン経済」なる言葉が出てくるが、定義は「自然界からの資源や生態系から得られる便益を適切に保全・活用しつつ、経済成長と環境を両立することで、人類の福祉を改善しながら、持続可能な成長を推進する経済システム」だそうだ。グローバリゼーションと地球規模の環境問題が進行し、貧困と格差が存在する国際経済の下で、健全な生態系と環境を現在・将来世代に継承するために環境とグリーン経済を統合することの重要性を強調している。

   UNEPによれば、グリーン経済の特徴は、(1)環境と経済の統合、(2)健全な生態系と環境を現在と将来の世代へ継承、(3)エネルギー・資源集約度削減、汚染削減、再生可能エネルギー・自然資源などのグリーン投資分野への重点的投資を通じ、環境保全と同時に雇用確保と経済発展を図ること、などがあげられている。しかしながら、2020年に入ってからはコロナ禍もあって、支援が難しくなった局面もあり、また、今月初旬に発生したモーリシャス沖の重油流出などは、さらに新たな問題となってしまった。報告書ではSIDSの持続可能な開発を支える柱として、多様な「ブルーグリーン経済」(海洋国のグリーン経済)の構築、先進技術の利用、島の文化重視、自然との再共生、の4つについて解説し、持続可能な政策枠組の重要項目を提示してはいるが、計画通りに進めるかは現在のところ状況を見極めつついくしかないのが本当のところだろうと思う。

   美しい島々は、先進国からすれば、長期バカンスをとってのんびりと青い空と透明感のあるエメラルドグリーン色の海を満喫する究極の楽園であろうが、これらSIDSの国々は必死に気候変動リスクや地域経済と向き合っているのだ。コロナ禍のために観光産業が落ち込んでおり、海洋プラスチックなどのごみ問題、海洋の酸性化問題、海上警備の問題と課題は山積みだ。だが、多くの問題は先進国がごみを大量に海上放棄したり、CO2を排出し続けたり、経済を支援するどころか労働力を搾取したり、海のなわばりを主張しあったりすることから生じていると思う。

   まずは先進国の一人ひとりが暮らしているその地域で環境問題に取り組み、巡り巡って最後に小さな島々に暮らす人々に決して被害がもたらされないように努力していくことが大切だ。

パンチョス萩原