「気長」のメカニズム 【SDGs 行動】

   なんとも気の長い話があるものだ。

   ドイツ中部、ハルバーシュタットのブキャルディ廃教会で、アメリカの前衛音楽家の故ジョン・ミルトン・ケージ・ジュニア氏(1912-1992)が作曲したオルガン作品「As Slow As Possible (題名:できるだけ遅く)」が演奏されている。この曲は2001年9月5日に演奏が始まったが、終わるのは2640年で、一曲演奏するのに実に639年かかる。2001年に演奏が開始されても曲の冒頭は長い休符のため、最初の和音が鳴ったのは18カ月後であった。その後2013年10月5日に一度和音が変わり、今回、先日9月5日に7年ぶりに多くのファンが見守る中、新しい和音に変わったのである。次に音が変わるのは2022年2月5日ということだ。

   ちなみに、ジョン・ケージ氏は、「4分33秒」という曲でクラッシック界ではかなり有名な作曲家だが、第一楽章から第三楽章で構成されたこの曲にしても、譜面はすべて休符(つまりオーケストラは何の音も出さない)なので、Youtube上の演奏の模様を視聴していると、バイオリニストが最初にオーケストラと音合わせでバイオリンを鳴らした後、指揮者がタクトを振り、曲が始まるのだが、オーケストラは一つの音も出さないでただじっとしているだけだ。観客は沈黙して無演奏のオーケストラをみつめ、やがて4分33秒で指揮者が曲をとじる動作を見せると、客席から大きな拍手が起こる、何とも奇妙だが印象深い作品であるので、一度聴かれてみてはいかがだろうか。

   いずれにしても、ジョン・ケージ氏の曲はどれをとっても、ユーモアがあり、素晴らしい作品として評価されているのだが、その背景には、どんなにじれったくても待ち続ける気の長いファンがいるのである。

   気の長い人たちに共通して言えるのは、「何かをじっと待てる大らかさ」を持っていることで、本当はとても忍耐力のいる作業だ。何故、人は「じっと待つ」ということができるか、という問いの答えを行動心理学的な根拠から探すとすれば、「待つことで、抱いていた欲求を満たせるため」であり、「欲求を満たしたいという意欲が強ければ、それが叶うように一生懸命行動する」のである。別の言い方をすれば、「待つ」という行為は、「忍耐力」をつけることよりも、「何としても目標を達成する意欲」を持つことの方が大切なのである。

   お昼時のテレビでとあるレストランの絶品ランチが紹介されれば、そんな美味しいランチが食べられるのなら1時間くらい並んでも全然平気、という人々が行列をつくる。忠犬ハチ公は主人の東京帝国大学教授であった上野英三郎が脳溢血で亡くなった後も10年間、ひたすら上野の帰りを渋谷駅で待っていた。プッチーニのオペラ「蝶々夫人」では、15歳でアメリカ海軍士官と結婚した日本人の芸者である蝶々が、アメリカに帰ってしまった夫を3年間、ひたすら海を眺めながら待ち続ける。二葉百合子の歌で戦争に出て行った息子の帰りをじっと待つ「岸壁の母」なども「待つ」という行為に決意が伝わってくる。特に、さだまさしの「舞姫」は、旅人に恋をした女性を歌った名曲であるが、2番の歌詞に、「待つ」という行為の本質がわかる一節がある;”余りにも長すぎる 時を待ち続けたが 何一つ彼女は 変わらずに過ごした ある人は未練と言い ある人は健気(けなげ)と言い いつかしら彼女は 一途(いちず)と呼ばれるようになる…”。

   まとめると、人は、獲得したい確かな目的があれば、いくらでも待つことができるのである。その意味で、気の長い人たちは、揺るがないビジョンを持っている人たちと言えなくもないだろう。「待つ」という英語の「Wait」の語源はフランス語の「Waitier 見張る、待ち伏せる」である。望んでいる欲求が満たされるまで状況をずっと観測し続けるイメージだ。喫茶店のウェイターも本来の仕事は、いつお客に呼ばれてもいいように万全を期して待ち構えている、というのが本分なのだろう。

   以前、「Delta8.7」のコラムの中でも登場させて頂いた住友化学は、SDGsの17目標において、私たち皆にとって大事なのは、「明日がどうなるのかもわからないのだから、未来はどうなるのか、と予測するのではなく、どのような未来にしたいのか、社会にしたいのか、を考えることだ」と言った(引用:2017年8月25日 SDGs Insightによる住友化学CSR推進部部長福田加奈子氏へのインタビュー記事)。「持続可能な社会が明日くるかどうか、いつくるのか」ではなく「明日をどんな日にしたいのか」という目標を立て、その実現のためにできることから行動し、信じて実現を待ち望む、ということが日々できたらどんなに素晴らしいことだろう。そして、これは私たちの日々の生活や職場でも同様に当てはまることである。

   冒頭のような、演奏に639年もかかる曲がある一方で、信じられないほど短い曲もある。イギリスのヘビーメタルバンドのナパーム・デスの曲「You suffer ユーサファー」は、なんと曲全体が1.316秒で、ギネスブックに「世界一短い曲」として認定されている。カラオケ店の曲目にも入っているので、歌いたくない時に「何か歌え」と強引に上司に頼まれた場合にはこの曲に限る。

パンチョス萩原(Soiコラムライター)