考えたくないことは考えない 【SDGs 心理】

   コロナ禍であまり外出もできず、体重が増えてしまった。ダイエットをしてせめて太った分だけでも痩せたいと思う。けれど、コロナ禍でまだ密を避けてあまり外出せず、制約した生活でのささやかな楽しみは、美味しいものを食べることくらいで、ダイエットのために食べられないと思うとストレスが溜まってしまう…。

    

   社会心理学でいう「認知的不協和」の状態だ。

  

  「認知的不協和」とは、アメリカの心理学者リーオン・フェスティンガー(1919年-1989年)が提唱した理論で、自分の中に矛盾する二つの認知を抱えたときに生じる、居心地の悪さや不快感を表す心理用語である。例えば、「ごみを分別することは必要だと思うが、面倒くさい」、「とても好きな人がいて付き合いたくてしかたがないのに、相手に振り向いてもらえず切ない」、「体に悪いのはわかっているが、ついついゲームで夜更かししてしまう」など、相反する2つの認知の中で不快感をなくすために人は自分の態度や行動を変えるのである。

   ごみを分別するのが面倒くさい人は、ネットなどで、「ダイオキシンなんて無害だ。ごみ分別なんて不要だ」など、ごみを分別しない人々の意見を積極的に探し、ごみ分別をしないことを正当化しようと試みるようになる。そして、ごみ分別がいかにリサイクルにとって必要か、素晴らしいことか、などの記事はあえて読むのを避ける。ゲームで夜更かしする人々も、寝不足でも全然平気な人たちの記事や、みんな夜更かししてゲームにはまっているなどの記事をあえて選んで読み、これ以外は無視する。これは自分に都合の良い情報のみを得ようとする傾向の「確証バイアス」と呼ばれる。

   好きでたまらない人に振り向いてもらえず、身も心も張り裂けそうになった時に、「あの人の代わりならいくらでもいるし、よく見たらそんなに大した人でなかった。付き合わないのが正解なのだ」など、対象を無価値化して不快感を減らそうとする。これは自我が崩壊しないようにとる防衛機制の「合理化」である。

   「認知的不協和」は誰にでもあることで、それ自体に何の問題もないし、2つの相反する認知の中で不快感が生じるストレスから、これまでの考えを変えたりすることも日常的にある。これは私たちがストレスを避けるために無意識的に行なっていることで、そうしなければ不快感からくるストレスに押しつぶされてしまうことになる。なので、ストレスを軽減のする行動や認知の変容は必ずしも悪いこととは言えない。

   注意しなければいけないことは、不快感を減らす上で「明らかにしなければならないことを無視するための正当化」が自分の身に起きてしまうと、人はなかなか正しい行動ができなくなってしまうことである。例えば、深酒や過度の喫煙、睡眠不足などは毎日続ければ医学的に見ても体に悪いに決まっているが、「それでも普通に100歳まで生きる人だっている」ということが自分がそれらをやめない理由となり、自分の行動を正当化することもある。

   SDGsの解決課題においても、アフリカやアジアの深刻な飢餓状況やアメリカ社会に影を落とす人種差別や人権問題の現状をニュースで読み、何とか役に立てないかと思っては見るものの直接の働きかけが出来ない時、あえてそのようなニュースを読まないか考えないようにすることで無意識的に心の中の不快感を取り除いてしまうことも起きるのである。しかしながら、現実にそれらの問題がなくなっているわけではない。

   「認知的不協和」は日常の中で頻繁に起こるが、明らかな事実をねじ曲げて都合よく物事を解釈しないようにするためにも、普段から、「自分自身がどのように心に生じた不快感からくるストレスを回避しているのか」、という自分の認知の癖を知っておくことは大事なことである。

 

パンチョス萩原(Soiコラムライター ・ 産業カウンセラー)