ESGラジオの収録

本企画は、ESGに関するニュースを取り上げて
心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく語る
という、カジュアルなトーク番組です。

ニュースを読むだけではわかりづらい用語や構造を
たとえ話も交えながらやさしく解説します。

ESGに因んだ川柳も披露します!

近日公開予定です。

ノスタルジックを未来へ 【SDGs ふれあい まちづくり】

   今の小学生のおよそ3分の2は、学校帰りに塾や習い事に通っているそうだ(2019年NTTコムリサーチ調査)。塾に通わず友達と遊ぶにしても、自宅にそれぞれ帰ってから対戦型のオンラインゲームなどにアクセスして遊ぶのだということを聞いた。私の幼いころなどは公園で野球か、友達の家に上がり込んで少年チャンピオンや永井豪などの漫画本を読むか、ほとんど毎日そんな感じであった。決まって公園や友達の家に行く前に集合場所となるのが、近所の駄菓子屋だった。友達は、よっちゃんいかやカレーあられ、チーズあられ、ヨーグル、餅太郎などを専ら好んでいたが、私はほぼ、きなこ飴→糸ひきあめ(フルーツ引き)→くじ付きの玉ガム(ボタンを押して出た玉ガムの色により当たりがあるくじ)のローテーションであった。今ではスーパーの一角に駄菓子コーナーがあったり、ショッピングモールにたまに駄菓子ショップがあるのを見かけるが、あの昭和のノスタルジックな駄菓子屋は随分と姿を消した。

   経済産業省の商業統計によると、駄菓子屋などが該当する「菓子小売業(製造小売を除く)」では、30年ほど前には7万件くらいあった事業所が、2016年は1万6千件ほどになったという。時代の流れと後継者事情があるのだろう。

   「駄菓子」という言葉が生まれたのは江戸時代だそうで、庶民には手の届かない白砂糖で作られた高級な「上菓子」に対し、麦・ひえ・あわ・豆・くず米などに飴(あめ)や黒砂糖などをあしらって作った安価で大衆的な菓子のことを「駄菓子」と呼んだ(駄菓子辞典HP)。町内警備をする「自身番」の詰所が副業で草鞋(わらじ)や蝋燭(ろうそく)などを売るついでに安い菓子を売ったことから「番太郎菓子」、また値段が一文で買えることから「一文菓子」などとも呼ばれたそうだ。

   現在、スーパーやコンビニなどで見かける駄菓子は、明治時代から戦後に発達したものがほとんどで、加工技術や包装技術の発展、また食品衛生法などで原材料や着色料が昭和に入り改良されて種類も豊富となった。さすがにグッピーラムネやマルカワガムは私の子供時代の5円ではないが、それでも30円程度でまだ駄菓子が1つ買えるものもある。値段は物価もあるが、最近ではパッケージに子供に人気のスポーツ選手やアニメキャラクターを使用するためか、そういった意味で駄菓子は100円ショップに売られている通常のお菓子とあまり変わらない値段のものも多くなった。

   流通経路から見ると、昭和期には店頭に10円で遊べる電子ゲームや縁側を並べた駄菓子屋などが全国の街角に見られ、駄菓子といえば駄菓子屋しかなかったのだが、一時代を築いていたそんな駄菓子屋は現代のサプライチェーンからは遠ざかり、近年はコンビニや大型ショッピングセンター、スーパーマーケット、菓子専門店チェーンなどで販売されるようになった。駄菓子の製造業者である、株式会社やおきん、丸川製菓株式会社、よっちゃん食品工業株式会社、オリオン株式会社、チロルチョコ株式会社などは今も健在である。製造メーカー側や問屋側からすれば、駄菓子屋は少なくなり、コンビニや大手スーパーへ駄菓子市場が移ったことで、配送効率は上がり、物流コスト的には現在の方が良いのかもしれない。

   とはいうものの、製造機械の劣化や、高価なスナック菓子や洋菓子、さらには高齢化によるせんべいや和菓子への移行などでどの駄菓子製造メーカーも苦戦している。タバコ型の砂糖菓子「ココアシガレット」で有名なオリオン株式会社は、シリーズの新商品として2018年に大人向けの「マイコス(myCOS)」を発売するなど、時代に即したチャレンジをしている会社もある。「マイコス」という商品名は電子タバコが由来で、フレーバーはメンソールさながらの「脳天直撃ミント味」。外箱には「マイコス」にちなんでか「舞子」のイラストに「2011年からオリオンはあなたの禁煙を応援します」と書かれている。

   駄菓子屋の衰退は、店主の高齢化や都市開発による区画整理など、さまざまな要因が考えられるが、一番は現代の子供たちの遊びの選択肢が多様化したことなのではないだろうか。私の頃のように駄菓子屋に集まること自体が遊びの一環であった時代が、今はオンラインゲーム機やスマホで個人で遊ぶような文化も醸成されている。また、商品に記載されたバーコードの読み取りなどのレジに対応したり、コストをかけて電子マネー決済を進めることも駄菓子屋には困難な要因になっていると思う。

   昭和の子供たちは、駄菓子屋に集まり、ああだこうだと知らない近所の子供や友達の兄弟たちとのコミュニケーションを通じて、その地域の素晴らしい子供ネットワークを作っていた。子供たちの間でもSNSでのバーチャルな付き合いがリアルな生活の一部である現代において、駄菓子屋のような存在はコミュニケーションを多様化する一つの素晴らしいツールになり、SDGsの目指す「住みよいまちづくり」に大きく貢献するものと信じている。駄菓子屋の復興が来る日を心待ちにしている。

パンチョス萩原