「アンサンブルの神髄はハーモニー」

『のだめカンタービレ』の好きなシーンのひとつがこちら
「袖口と……世界の調和のアンサンブル」です♪

マルレオケのコンマス シモンさん

アンサンブルの神髄はハーモニー
ようするに「調和」だ
この調和は古代ギリシャの時代「ハルモニー」と呼ばれ
キリスト教社会になった時
「神のつくりたもうた世界は
 素晴らしい調和によって創造されている」
(略)
音楽の本質は「調和」にあるのだ
それを表現するのが真の「音楽家」なんだ    

引用元『のだめカンタービレ』16巻

 

アンサンブル(ensemble)とは、フランス語で「一緒に」の意味で
音楽用語では、2人以上が同時に演奏することです。

オーケストラでは、バイオリンやトランペットなどの様々な楽器が
一緒に演奏し、ハーモニーを奏でます。

この社会もまた、多様な人々と組織がともに活動しています。
持続可能な社会を実現するためには、つまり「調和」を生み出すには
みんなで協力して取り組むことが大切です。

Soi=Social Integrationは
ビジネスにソーシャルを融合しようというコンセプト。

いうなれば、Soiは
ビジネスとソーシャルの「ハーモニー」を表現する音楽家なのです。

Cantare Kaoru

平和の門が教えること 【SGDs 平和と公正をすべての人に】

   「広島」と聞いて何が頭に浮かぶ?と言われたら、カキ、もみじ饅頭、お好み焼き、大林宣彦監督の尾道三部作、しまなみ海道…、など人それぞれであろうが、「広島と長崎」と聞いて何を思い浮かべるか?と言われたら、ほとんどの人は「原爆」と答えるに違いない。 歴史上の事実として今から75年前の8月に日本人は原爆投下や終戦を経験した。そして、いかに時代が移ろうとも、新型コロナの今年であろうとも、広島と長崎におけて平和祈念式典は毎年必ず行われている。10代や20代の感受性豊かな頃に実際に戦争体験をした方々はすでにかなりの高齢となり、悲惨な戦争の語り部は年々減少しているが、地下鉄九段下駅から歩いて1分にある「昭和館」では当時学童疎開していた時の体験、さらには映画3丁目の夕日で垣間見た戦後復興の記憶を伝承しようとする働きが再び脚光を帯び、その活動に参加することがシニアの方々の生きがいにもなってきていると聞く。 そんなシニア世代をテーマにさまざまな研究を一つの学術体系として定義する「ジェロントロジー」という学問があるが、それについては今後のコラムの中でご紹介してみたいと思う。 今日はSDGsの中でも最も重要とも言うべき平和を題材に考えてみたい。
   一般的に「平和」というと、これもいろいろなイメージが頭に浮かぶ。また似たような言葉に「和平」というのもあり、何となくとしか違いがわからない。 平和も和平も、よくテレビのニュースで耳にするため、メディアはどう使い分けるのかをNHKのHPから調べてみると、“「平和」は戦争や災害などがなく穏やかな「状態」を指します。いっぽう「和平」は、悪い状況から平和な状態になること、または平和な状態にすること、という「状態の変化」を表します”とある(出典:NHK放送文化研究所 最近気になる放送用語より)。平和という言葉は状態そのものであるから「平和な~」という言い方で使われ、状態の変化を表す和平という言葉は文法的に「和平な~」とはできないそうだ。余談であるが、このサイトには「材木」と「木材」の違いも載っていて面白い。
   いろいろと調べる中で「平和」という言葉自体が明治以降、英語のPeaceを訳したときに出来た言葉であること説が有力ということを知った。 英語のPeaceという単語の語源自体はラテン語の pax(パークス)、フランス語のPaix(ぺ)、イタリア語のPace(パーチェ)…などであり、もともとは「協定・講和・武力による平和」などの意味である。 「平和にする」という動詞はPacificate であるが、日本では「平和の」という形容詞で使われるPacificの方を耳にすることが多く、Pacific Oceanのことを「太平洋」という平という字を用いているところからも、平和という言葉が外来語由来であることがわかる。ちなみにPacific Oceanという言葉はスペインの冒険家マゼランが16世紀に太平洋を渡った時、波も少なく快適に航行できたことに感激し、「Mare Pacificum(穏やかな海)」と名付けたのが始まりだそうだ。平和には風もなく穏やかなイメージがあるが、いつブリザードで荒波が立つ海のようになるかわからないことも忘れてはいけないと思う。


   話を広島と長崎に戻すと、今年もテレビで平和祈念式典の様子が報道されていた。広島市は参列者をソーシャルディスタンスを取るために毎年の5万人から800人に留めたそうである。 平和記念公園からのテレビ中継では公園の中心にあるアーチ形の原爆死没者慰霊碑の前に参列者が座り、正面に見える原爆ドームを借景としている映像がよく映し出されるが、公園の南側を100メートルにわたり東西に走る平和大通りにある「平和の門」も大切なモニュメントである。

   この作品は、フランスの芸術家クララ・アルテール氏と建築家ジャン=ミッシェル・ヴィルモット氏によって戦後60周年の2005年に制作された高さ9メートル・幅2.6メートル・奥行1.6メートルの強化ガラス製であり、柱状の門が10基並んでいる。そのすべての門と敷石には、世界49か国の言葉で「平和」を意味する言葉が書かれている。広島広域観光情報サイト「ひろたび」による紹介文には、平和の門は、“歴史を越え、未来に向かって開かれた記憶と希望の「かけはし」を表現しています”とある。 また広島平和記念資料館のサイト上では、「10」という門の数は、“イタリアの詩人のダンテが書いた『神曲』の中に出てくる9つの地獄に、その当時では想像もしえなかった広島の被爆体験という生き地獄を加えたもの”という意味があるそうで、原爆という悲惨な過去を改めて現代を生きる人々が見つめることで、平和ある未来へ希望を持とうという願いが込められているのである。

   それにしても地獄を門10基に世界中の平和を意味する単語を書き添えて希望の門に変えるという発想は凄すぎる。


   平和の門が教えるように、人々は、地獄のような困難を乗り越えて平和を得ているのである。現在、未だに貧困国における経済発展や環境保護、さらには猛威をふるっている新型コロナのさなかにあっても、世界中の人々は必死に平和な日々を求め努力している。平和とは、人々が自ら作り出す努力の結果に他ならない。さまざまな困難はあるが、平和を作り出す担い手の一人でありたいと思う。

パンチョス萩原